多くの命を狩った。それは武器としてあるべき姿であり、定めである。そこに後悔も無ければ、恐れもない。傷つけるべき刃を持った物の必定だ。恨めば生まれるのは矛盾だ。
己の身に食い込まれた刃を、掴み。抜く。刃に触れた手が裂かれようとも関係はない。相手の首を、喰い取れと魂が叫ぶ。刀を無理やり奪い取り、薙刀で相手の体を貫いた。刀を橋の向こう側へと投げ捨て、両手で薙刀を持ち、大きく横へと振った。力によって貫かれた物は橋の外の川へと振り飛ばされる。
ありもしない、心臓が震える。心の中で何かが叫び、吠えている。
(君はどうして作業とする。見つけねば君は堕ちる一途だ)
「……それは俺が、自分の内にある魂から食いつぶされるという意味か?」
(……気づいてたのか)
「流石に九百以上も斬れば、確信にも近くなる……名前も形も思い出せぬのは、哀しいものだがな」
悲しきか。これで一つでも思い出せるならば、弔いも出来たであろうに。残念そうな、小さな声に、彼の息が僅かに止まった。
もはや、過去の再現に等しい場だ。状況は違えども夜な夜な人を襲い、刀を狩る。その時の心に善たる心など、ありはしない。「自分」はそうして「業」を背負い、喰い潰してきた。今、自分はその時の事を繰り返している。
何を斬るか。その問いは何度繰り返しても自分の中には「敵の命を狩り取る」、それしか浮かばないのだ。それ以外に、何があるというのか。岩融には分からないでいる。それが事実であるのに、変わりないのだから。
堕ちた先、どうなる。岩融の言葉に、男は、口を閉ざした。無言は告げぬ事の意思表示かと思ったが、違うんだと言葉が告げられる。
分からないんだ。
(恐らくは、君の考えているものになると思う。だが、それは「此処」での話だ。君の望む「向こう」の話ではない)
ここは、現実ではない、曖昧で不安定な場所だと彼は言った。過去の再現であるとはいえ、痛みも感覚もあり、こうした時間のズレを考えて、ここは、自分の心の内なる場であるのだろう。その深淵と言っても良いのかもしれない。
堕ちて鬼になろうとも、それが外界に影響が及ぶかどうかは分からない。彼はそう言った。前例がないのだ。そうであろう。人が鬼に化ける事はあっても、刀が鬼に化ける事はない。
夜な夜な繰り返される戦いは、己の身をどこまでも削らせる。手だけではない、足も腹も、もはや誰の血ですら分からない程に赤く染まってしまった。
これでは、今剣を抱き上げる事が出来ないな。
(いや、答えを見つけなければ……それすら叶わないか)
世界が求める答えを、己の中にあるものが納得出来る答えを。見つけなければ、自分は先と変わらぬものになるのだろう。
雨足が強くなる。雨は一度も止む事なく降り続けている。岩融は、男がいるであろう所に目を向けて、薄く笑った。
「最後の奴が来る。もう離れたほうが良い……いや、去れ。それが為だ」
(最後……いや、まだ九百三十を超えたばかりじゃないのか)
数は数えていた。一つとも見逃してはいないはずだ。男の言葉に、そうだろうなと、岩融は答える。数は間違っていない。先ほどまで自分が狩った数に誤りはない。岩融自身も数を数えていた。彼の言葉に、偽りはない事と、自分にまだ理性が正しく機能していたことに僅かながらに安堵する。
「斬った数は九百三十、余り六で違いはない。思ったより事は進んでいるという事だ」
岩融は二つの指で己の胸を二度、叩いた。ぞのまま彼に背を向けて、薙刀を一点先へと突きつけた。
「腹の中で喰ろうた奴が、一つある」
欲深い執念だ。よほど殺したいのだろう。残りの全部を喰らい尽くして、一つになったもう一つの”鬼”。駆け出した先にいる「鬼」に刃を振り下ろす。刃が交わった時、胸の内に熱を感じた。ああ、この胸の高鳴りをなんと呼べばいいのだろうか。
もう引き返せぬ場所までに来ているならば、いっそそこで踊るのも悪くはない。
「その為に俺を襲ったのならば、存分に楽しもうではないか!なぁっ!「俺」!」
───────────────────────────────────────────────────
空気が震える。心が揺れる。激しく波紋を、波を立ててざわつく。
目が覚めた。外は暗く、静寂のまま。まだ、夜なのか。誰もいない一室で、今剣は目を覚ましたこの場の状況を理解した。空は黒く、星が見えぬ事に首を傾げる。よく見えば月が見えない。曇っているのか。朝は、あれほど晴れていたというのに。
行かねば。
衝動のような感覚が胸に湧き上がる。行かねば。行かねば、ならない。
「いかなきゃ」
言葉にした時、すでに体が動いていた。駆け出し、飛び越え、庭を駆ける。
行かねば。行かねば。心が叫び、駆けてる足が早くなる。石段を飛び越え、橋を越え、見えてきた建物に、より一層急かす心のざわつき。
階段は飛び上がって超えた。襖に手をかけ、振り払うように開ける。気がつけば、息が乱れていた。荒れる呼吸を落ち着かせるよりも、その景色を逃すまいと目に意識を集中させた。
見える光景は、倒れた二日後の。石切丸に見せてもらった光景となんら変わりはない。彼の刀の近くに、皆が折って作った鶴が備えられている程度か。部屋は暗く、いつもは石切丸がいるはずなのだが、誰もいない。無音の空気が、この部屋を包んでいた。
「……だれですか」
その一室を前に、今剣は問いかける。揺らぐ事はない声、赤い目が鋭い光を持って、部屋をの中を射抜く。しかし、答えは無音。
「はなれなさい」
強い言葉が降りかかる。意思を持った言葉が、はっきりと告げた。冷えていた空気が、ゆらりと変わった。何かが淀み、立ち籠めるような感覚。どこかで、感じた事のある感覚だ。だが、それよりも。なによりも。
何かが動いた時、今剣の目がより鋭くなる。
「岩融からはなれろっ!!!」
目の前の存在が気に食わなかった。
響き渡る怒声と共に、今剣は何かに対して飛びかかった。刀を抜き、ここでは異物の「なにか」に、切っ先を向ける。
だが、大きく何かが動いた。動き、今剣の前に出てきたものに、今剣は目を見開き、刀を持つ手を、体を使って無理やり背後の方へと振った。
その身は何かから通り過ぎ、部屋の奥へと飛び込まれた形となる。背中から落ちた今剣は、そのまま身を周り、両手足を、畳につける。
顔を上げて、その場にいるものを視認し、歯を食いしばった。
岩融が、立っていた。
否、立っているというよりも。もはや、立たされているに等しい。
項垂れた頭は、彼が意識がない事を示している。大きな体が、ぐらりと動く。
これでは。
これでは、まるで。
心臓が貫かれた姿が、浮かび上がる。
最後に見た彼の顔を思い出す。
赤くなった世界を思い出す。赤く、紅く、緋く。
無意識に抜いたとはいえ、まだ今の自分では、無理だったか。刀を持つ手が、少しずつ震え始める。頭の中に浮かぶ景色に、出てくるな出てくるなと心が叫ぶ。岩融が、岩融が。今は出てくるな。彼を。彼を助けないと。
もう二度と、あの光景は見たくないんだ。
震える手を抑え込むようにもう一つの手がその上から握り込む。荒くなってくる呼吸を無理やり整えさせて、正面を見据えた。
目をそらすな。あれを許してはならない。岩融を、助けないと。
「もういちどいいます。岩融からはなれなさい」
今剣の言葉に、岩融の身が後ろへ僅かに下がる。行動の意味に、今剣の表情が険しくなる。答えは、否と見た。
斬らねば、いけない。
腹に埋まる不安と恐怖を、息と一緒に吐き出す。
ミツケタ。チニクヲミツケタ。
ワタサナイ。
ワタサナイ。
空気が震えるような声。男も女も分からない声。この声に、今剣は聞き覚えがある。
「岩融がみえていたものは……きこえていたのは、きみだったんですか」
歯をカタカタと笑う声が、音が聞こえる。握り込む手がより一層、力を強める。
再び、空気が変わった。
圧迫するかのような気迫。相手を射抜き殺さんとばかりに感じる強い視線。
……くる!
高く跳躍した瞬間、自分の足元に、刀が降り注がれた。短刀、太刀、脇差、多くの種類、多くの数の刀が畳に突き刺さる。あの時も、自分の足元に刃があった。
やはり、やつが。岩融を。
降り立った後、すぐにまた飛び上がれば着した場所に刀が降る。逃さないということか。
何度か跳躍した後、再び、何かの元へと飛び掛る。今度は、高く、岩融を飛び越すように。
狙いがずれぬように、落とさぬように刀を持ち直す。
刀を持つ手が震え、恐怖に感じようとも、己の身体能力は衰えることはなかった。天井にも届いてしまいそうな跳躍は、岩融の身を飛び越す。
何かに向かって、短刀を突き刺した瞬間。甲高い悲鳴が耳元で響き渡る。一つだけではない、複数の声だ。
一斉に鳴り出す悲鳴の合唱に今剣は表情を歪めた。短刀を引き抜き、距離を取る。刺された痛みが強いのか、降り立っても刃が降り注がれることは無かった。
ユルサナイ。ユルサナイ。ユルサナイ。ユルサナイ。ユルサナイ!!!
何度も繰り返される声は、低く、高く、多くの声が潜ませている。
岩融の身が、突如動き出す。
ぐっと風のようにやってきたその身に、驚き、思わず動きが止まる。彼の手が、自分の胸倉を掴みあげられる。途端に呼吸が苦しくなってくる。
彼の名を呼ぼうと彼の腕に手を添えて、彼の顔をみた。俯いたままの彼に、意識があるようには、見えない。
その身だけではなく、その手足すらも自由に動かそうというのか。
湧き上がってくる怒りを言葉にしようとした時、怒声が響いた。
「岩融!お前、何してる!?」
その声を聞いた時、今剣はある事に気づく。あっ。と口にするよりも早く、その身は勢い良く振り飛ばされた。
叩きつける衝撃に備え、目を閉じる。
「うおぉっと!」
「っ、あれ」
「大丈夫か、今剣!」
白い髪が揺れ、金色の目がこちらを見ている。慌てて状況を確認する。周囲を見渡すと、今剣は鶴丸に抱えられていた。
瞬く今剣に怪我していないと分かると、鶴丸はほっと安堵の息を吐き、部屋の中にいる岩融に目を向ける。部屋の中には、なにかと項垂れた岩融の姿が変わらずに見える。
「岩融。いくらなんでも……自分の片割れを投げ飛ばすのはどういう了見だ?」
「っ、ちがいます!岩融は、あのへんなものにうごかされてるだけです!」
「へんなもの……?」
「そこにいるじゃないですか!!岩融のちかくに!」
今剣の言葉に、鶴丸は何度か今剣と岩融を見比べる。彼の表情と様子に、気づく。
聞こえていない、見えていないのだ。彼には。以前の自分と同じように。黒く、禍々しい大きいく、不確かな形の存在が見えていないのだ。
困惑の表情を浮かべる鶴丸は今剣に、岩融しか俺には見えていないと伝えた。それに対して、黒いものが見える。それが岩融を動かしていると伝えると、舌打ちを鳴らす。
「ってことは、岩融は今、傀儡の状態って事か」
「いえ……たぶん、岩融はたたかっています」
名前を呼ばれた時、彼はわずかに反応した。あの何かと、戦っているのだ。でなければ、自分を彼の元へまで投げ飛ばさない。床か壁にでも叩きつけて、突きさせばいいのだから。
「ぼくがくろいのをどうにかします。鶴丸は岩融をおさえてください」
「……大丈夫か」
「だいじょうぶです」
今剣はそう言いながら自らの袖を引き裂いた。袖の一部が布切れに変わり、その布を自分の手に巻きつけた。刀を持つ震える手を。刀を手放さないように巻きつけて、口を使ってしっかりと強く結ぶ。
赤い世界が見え隠れする。それがなんだ。
手が震える。それがなんだ。
守らねばいけない。決意にも似た思いが、行動に迷いなく現れる。
揺るがぬ意志。赤い目は尚も訴えかける。
彼の目を見て、沈黙していた鶴丸国永は、はっと溜息をこぼす。
「俺がやった方が、色々と気負いもないと思ったんだがなあ……」
「……鶴丸?」
「頼むぜ、隊長。こっちは俺と石切丸でどうにかするさ」
えっ、と驚く今剣の顔を見て、小さな笑みを浮かべた。そしてそのまま、なぁ、そうだろうと鶴丸は後ろを見ながら声を上げる。それに連れて、今剣の視線も動いた。背後にいた石切丸は、わずかに苦笑を浮かべて、二人の元へ歩み寄る。石切丸が今剣に顔を向けた。
「遅くなってすまない」
「元々俺が番だったんだ。仕方ないさ……早速で悪いが、岩融の他に黒い何かいるらしいが、見えるか?今剣は見えるが、俺は見えん」
岩融は、それに操られているが、まだ完全に堕ちてはいないらしい。
鶴丸の言葉を聞きながら、石切丸も中を見遣る。目を細め、存在を探っているように見える。
しかし、光が苦手なのだろうか。先ほどから話している間、向こうは襲ってくる気配は見せない。しばらく中を見ていた後、視線を変える。
「……見えないね。何かいるという違和感は感じるけれど」
「どっちにしろ、あの部屋じゃ太刀も大太刀も振り回せないだろうさ。抜けない刀で敵を斬るっていうのは、ちょっとばかし骨が折れる」
当然、当たり前のように軽い調子で告げ、鶴丸が今剣に笑いかける。
「そういう訳だ。俺達が抑えている間、ばっちりと決めてくれよ?」
ならば、その心様。見せてもらうとしよう。
彼の言葉に、表情に、先の事を思い出す。
そうだ。自分には、やらねばならない事がある。伝えなければいけない事がある。
決して離れる己の手に力を込めて。今剣は大きく頷いた。
ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイワタサナイワタサナイワタサナイワタサナイ
男の声が、女の声が、子供の声が、老いた者の声が混ざり合い、音を変えて呟き続ける。黒く、形を定めていないものはゆっくりと形を変えて、部屋の畳を天井を、少しずつ侵食していく。
一筋の線が天井に蔓延る蜘蛛の巣を断ち切った。蜘蛛の巣は切られた口から泡のように爆ぜ、消えていく。
悲鳴とは一変した、獣声が辺りに響き渡る。
空気が震える。
白き姿が黒きものの足元に降り立つ。そのまま床に一線引いて、刃を突き立てる。
水に近いけど、水とは違う。爆ぜていくものを見つめ、そう思う。この敵の身は実体ではないのだろうか、脳内に染まりかける赤い世界を振り払う。集中しろ。目の前にいる敵に、今剣は短刀を一度突き刺し、飛び上がった。
己の身を守るためか、岩融がゆっくりと動く。その動きもどこかはっきりとせず、覚束無い動作は、普段の彼とは異質だ。
そんな彼の前に、二人が間を挟む。
「おおっと、俺達を無視するのはないんじゃないのか?岩融」
名を呼ばれ、動きが止まる。普段の時でも、戦う時でもこれほど緩慢な動きを見せる事はない。俯いたままの彼から、表情を知る事が出来ない。
「しかし、意外だね」
不意に告げられた言葉に、鶴丸は眼だけ動かした。大太刀を腰に吊るしたまま石切丸は落ち着いた表情をしている。彼の刀がいかに強力であろうとも、狭い室内で振り回すのは危険だ。彼もそれは十二分に理解しているのであろう。嫌な空気が漂う一室に足を踏み入れても、彼は柄に手を添えはしなかった。
「何がだ?」
「君の事だから譲らないと思っていたけれど」
室内にいる何かを判別出来るのは、今剣のみだ。石切丸はその気配を。鶴丸はその判別は出来ない。
それでも彼の性格を考えれば今剣に頼り切る事はせず、妥協して共に戦う手を使うだろう。それだけ重役の重さを理解し、責任の強さを持つ刀だ。彼は。
俺も譲る気はなかったんだけどな。残念そうにしつつも、いつもの軽い調子で鶴丸は、呟く。
両手で鞘に納めた己の刀を持ち、小さく構える。
「刀をあれだけ握って、あんな顔をされちまったら、譲るしかないだろ」
手は汗ばみ、震えていた。それを隠すように布を巻いた。刀を離さぬように布を巻いた。
まるで多くの血を流したように顔はまるで死に顔にもふさわしく、けれどもその瞳な抗うように輝きを放つ。
きっとまだ、彼は解放されていないのだろう。
多くの不安と恐怖が、今もなお、彼の心を蝕んでいるはず。
彼はその恐怖を背負いながら、あの場に立ち、刀を持ち、奮っている。
「だから、俺は今剣を信じる事にした」
拒むことなど、出来ようものか。
あの目を見て、掛けられる言葉なんて、決まっているだろう。
譲った俺は軟弱かね。視線を岩融に向けながら、鶴丸は呟いた。問いか、独り言か、本人にもそれは分からない。
彼の横顔を一瞥した石切丸の表情は、変わらない。その眼に、穏やかな光が宿る。
笑みが浮かんだ。
「それは私が決めて発言するものじゃないね」
「慰めの一つも無いとは、こいつは驚きだ」
元々期待をしていなかったのか。返答の内容を予測してか、互いに変わらぬ調子で言葉を交わし合う。戦いながら岩融を操るのは出来ぬのか、彼の動きは非常に遅く、緩やかだ。
だが、まだ彼が堕ちていないということは、可能性はまだ、残されたままであるということだ。
(信じる間、刀は抜けねえ……よなぁ……)
刀である自分達は、相手を斬る事など実に容易く、実に当然で、実に単純で明快なものである。それを自らの意志で制限して、その上で、彼の動きを止めなければいけない。
意識があっての事ならば峰打ちで急所を当て、気絶させれば良いのだが。今回はその手は通じない。
彼は言った、大丈夫だと。
その身体は震え、倒れるのではないかと思うその身を知った上で、頷いた。
自分でやるといったんだ。しっかりとやり通してもらわないと困る。
(俺だって仲間の血で鶴になりたくはないんでなっ!)
同じ鶴であっても、あの世への送り船も、道標もなりたくはない。
ゆっくりと岩融がこちらの方へと体を向けて動き出す。
そうだ。それで良い。彼も戦っているのだ。お前も戦え。
お前がまだ堕ちていないのならば、今剣が信じるならば。この身を持って、お前を止めよう。
声を掛ける事もなく、合図もなく。二人はその身を動かした。
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もはや本能によって戦っていた。
理屈も、予測も立てない、斬って斬られての応酬が続いていた。
腹を斬られたら、肩を斬り。
顔を斬りつければ、右手が裂ける。
何も考えない。考える必要も無い。
胸の内に感じる熱が、体を突き動かす。熱い。熱い。熱い。熱い。
高揚とする気持ちに、岩融は大きな弧を作って笑った。
ああ、なんと楽しい事か!
心の思うままに身体が動き、心の感じるままに叫び、笑い、生きる事に渇望する。
身を焦がすような熱が内側から溢れてくる。
薙刀は大きく振り回し、相手の身を裂かんとする刃を、「鬼」は己の刃を持って止める。
避ける事など、考えない。身が裂かれる痛みも、体から溢れる血も全てが心地よく感じる。これは幸福か、快感か、歓喜か。なんと呼べばいいのだろうか。
「楽しいなっ!貴様もそう思うだろう!?」
岩融の言葉に呼応するかのように、「鬼」が吠える。言葉として機能していない咆哮はなんと言っているのか分からない。しかし、それを聞いた岩融はにんまりと笑みを深める。そして、高らかに笑い声をあげた。
「ハハハハハハッ!もう言葉も分からんか!まるで獣だな!!」
だが、俺も人の事はもう言えん。
腹を斬られながらも笑みを消す事なく、岩融はその身を押して薙刀を振るった。
斬られた傷口から赤い花が乱れる。花弁は、大地へと降り立ち、雨の水に混じってじわりと滲み、広げていく。
互いに、動きは衰える事を知らず、武器を振るう。
何度も刃を振る度に、何かが見える。
何度も刃がその身に食い込む度に、何かが聞こえる。
それがなんなのかは、分からない。ただ、それが見える度に、心の中で何かが大きく揺らぐような感覚を感じて、煩わしさを覚える。
あぁこの楽しみを誰かが奪っている。誰だ。目の前にいる「鬼」か。雨か。世界か。
雨は止まない。いや、もしかしたら既にこれは矢雨となっているかも知れない。我が主人を殺した豪雨の如き矢。それほどまでに激しく、強い雨だ。
身体に溜まりこんだ熱を、息と共に吐き出す。
体の熱を、雨が冷やすことは無い。刃は雨を裂き、空間を斬りつけ、風が身を削る。
赤黒い光を灯す目が岩融を見る。その眼球の奥にある心は、深淵に隠されてしまっているのか、覗き込む事ができない。岩融を見た「鬼」は、大きな口を開かせて、鋭い歯を剥き出しに、吠えるように笑った。
腹から吐き出される歓喜の音。同時に、「鬼」の背から、身が軋む音が、雨に紛れながらも鳴りだす。
たのしいかたのしいか。たのしいぞたのしいぞ。からだがもえるようにあついぞ。からだがきゅうくつだ。もどかしい。じゃまでしかたがない。
複数の笑いを叫びながら、低く、海底で告げる淀んだような声が静かに喋る。
ガリッ、ガリッ。
パキッ、パキッ。
ひび割れる音。何かが孵るような音が鳴る。
何かが変化を告げている。岩融は、薙刀を身に寄せて、「鬼」を観た。
にんまりと笑みを深める「鬼」の顔に、亀裂が入る。
刀を「喰う」者は、その中に、刀を潜ませる。
「鬼」の背から溢れるものに、岩融は目を見開いた。
亀裂が入り、破片が砕かれた顔の裏側に、形はなく。
「鬼」の身から数十本ものの、「刀」だった。
剥き出しの刀。崩れた顔。異質なその姿は人にも、獣にも見えない。
崩れた顔など、気にも留めず「鬼」がニタリと大きな口が笑みを作った。
その表情を見た時、反射的に岩融は後方へと飛び下がった。
悲鳴のような声か、耳障りな音が響き渡る。そして、彼が立っていたその場所で、無数の刃が溢れた。
鞘に収まっていない、柄も無い。剥き出しの刃。
花が咲くようになっていれば、まだ風情があると軽口一つでも言えたのだろうが。
その刃は間違いなく、岩融を狙っていた。
奴の仕業だろう。刀越しからこちらを見る「鬼」の姿は実に愉快な笑みを浮かべている。
甲高い音を鳴らしては、肩を震わせている。
大地に咲く無数の刀を見て、一人の少年が岩融の脳裏に過る。
幼く、小さな、一人の少年に、岩融は疑問を感じた。
誰だ。今の子は。
赤く色塗られたその姿に、どこか既視感を覚えたが、思い出せない。
自分は、それを知っているのか?
誰だ。
飛べ。心が叫んだ。
再び飛び上がると同時に、音が響く。
身体を貫かんと、刃が溢れる。今度は咲くようにではない、直線的に、岩融を狙ってきた。
ただ、足場を無くす事だけのものではないらしい。岩融は、薙刀を両手に持ち、大きく薙いだ。
三寸ある刃が空気を裂く。
岩融に触れた刀が、その力に抗う事無く、硝子のように砕かれる。
それほどの強度は無い、という事か。刃の破片が、辺りに散らばるのを横目に、「鬼」へ切っ先を向けた。
一体、誰だ。
「鬼」が、岩融の元へと走り出す。構える事も無く、切っ先を向ける事も無く、ただ手に持っているだけの様に、刀の先は下へと向いていた。
異形な形となりながらも、その足に、動きに衰えは見えない。
僅かな疑問を持ちながら、岩融は強く握りこみ、斬り上げるように振り上げた。
斬り上げた切っ先に沿いながら、「鬼」が飛び上がる。跳躍したその足は先程よりも強度を増したのか、高さも速さも先程よりも上がっている。右手にある刀が怪しく光るのが目に入った。
思ったよりも距離が短い。
(このままでは、斬られる……!)
刀が振り上がるように動く。薙刀を持つ二つの腕が、離れる。
左手が、刃を持ち。右手が「鬼」の顔を掴む。
両手から感じる痛みに、顔が歪む。痛みに耐え、岩融は「鬼」の顔を地面に叩きつけた。
鈍い音が雨に紛れて聞こえる。
「鬼」から離れた手から、赤い血が流れ落ちる。
僅かに距離を置いて、薙刀を拾い上げる。ガタリと不気味な音が鳴った。
その音を聞いた岩融が、一瞬だけ目を見開く。苦い表情を見せて、ハッと息を吐き出した。
「もう少し寝て置いて欲しかったなァ……」
止血する暇も与えてくれないというのか。
口から見えた刃に、もはや笑うしかない。
形を留めることを放棄した「鬼」は、食らった者たちの刀を何処からでも出せるらしい。口から刀を出すとは、思わなかった。貫かれた右手は、痛みを通り越し、感覚が無くなってきている。
赤い世界が少しずつ大地に広がっていく。
赤い世界に染まりながらその血に立つ彼は、一体誰だろうか。
……もはや、思い出すことも億劫に感じる。
自分が認識出来る程、手を強く握り込み。大地を蹴る。
既に言葉という言葉は口に出来ないのか、そうしないのか。「鬼」の口であったものからは何かの音が聞こえてくるだけだ。
岩融が、「鬼」の頭に目掛けて薙刀を振り下ろす。
大地の抉る音が聞こえる。
しかし、目の前に、「鬼」の姿は、無い。
薙刀の先には、虚空しかない。
切っ先に、足が掛かる。
何かが軋む音が聞こえてくる。
何かがひび割れる音が聞こえる。
何かが叫ぶ音が聞こえる。
これ、いらないだろ
無数の刀が、薙刀の刃を砕いた。
「なっ……!」
驚きのあまり、言葉が零れる。
折れた。
一瞬だけそんな言葉が頭を過った。
……否、折れてはいない。それを認めれば死だ。
刃のない薙刀は、ただの棒になる。
カタカタと音が鳴る。
奴が、笑っている音だ。
奴の右手に持つ刀が、岩融の肩を貫く。
「ぐっ…!」
左肩から走った激痛に、岩融は歯を食いしばった。
「鬼」は、刀を引き抜く事はなく、そのまま押し込んで地面へと叩き伏せる。体全体に掛かる圧迫感。呼吸の流れが僅かに乱れる。空から降る雨が煩わしい。岩融の上で「鬼」が見下ろしている。
カタカタカタカタカタカタカタカタ。
小気味の良い音が鳴り響く。
奴の左の掌から、刀が一本出てくる。自分の内から壊れていく事も、血が溢れる事も気にしないというのか。
半分以上崩れた顔が、笑ったような気がした。
その奥に見える、赤い眼光が、鮮明に見える。
……ああ、そういえば彼奴も、赤い目をしていた。
脳裏に浮かぶ少年の顔と、よく似ている。
そうか。
お前もか。
『岩融っっっっっ!!!!』
遠くで誰かが叫ぶ。
お前も、「同じ」か。