使うものは四方の長さが揃った白い紙。これ一枚と己の手だけで良い。紙を折り重ねていき、途中で何度か畳んでいたものを開かせる事で鶴が出来上がる。
千羽鶴を折る時に、重要なのは綺麗さではない。一つ一つに相手の事を思い作り上げる事と、鶴の頭を作らない事だ。
部屋にあった書簡に使われる紙を一枚拝借し、石切丸は鶴を作り上げた。羽を広げ、畳の上に降り立っているその姿は、鳥に見える。広く大きな部分が翼であり、反対に一直線上へと伸び、細くなっていく紙が見える。片方は先を尖らせており、片方は先を曲げていた。片方だけ先の尖った部分を曲げる事で頭と尻尾を表現しているのだろうか。前田藤四郎は石切丸の話を聞きながら、思い浮かんだ疑問を投げかける。
「鶴って尻尾があるんですか?」
「尻尾?まぁ羽で尻尾に見えなくもないけれど……長さ的には足じゃないか?」
「そうだね。これは飛んでいる姿を紙で表現しているんだ。鶴を実物で見たことは?」
「存在だけは知っていましたけれど、流石に実物は……」
前田藤四郎が恥ずかしそうに頬を赤く染めながら笑った。オレもオレもと賛同するように愛染国俊が声を上げる。確かその美しさと、肉の旨さに、多くの人間が鶴を狩り、減少の一途を辿っていたと聞いている。元来、鳥とは警戒心の強い生き物だ。姿を見た事が無くても、不思議ではないだろう。
まずは何故、鶴なのかを説明しなければならない。
鶴にも色々と種類があり、その中で最も大きく、有名なのが「丹頂」という名の鶴である。殆どその身が白く、優雅たるその姿は気品があると人間は丹頂を神の使いではないかと口にしていたという。神の使いならば大変縁起が良いと人々は口を揃え、一つの象徴とも捉えるようになった。その思想が始まりである。
鶴の寿命は九十年と言われている。人間の寿命は当時、それの半分程と言われていた。人間の倍を生きる鶴は縁起が良く、その恩恵を受けたものは長寿にあると言われるようになる。象徴とは不変だ。何事にも対しても変わらぬそれは長い時を持ってもあり続ける。その人に長生きをしてほしいと鶴に形どって作られたのが折り鶴。鶴のように末長く生きてもらえるように。鶴の寿命よりも長く、永く。千という数字は古来からそれだけ多くの、存在であると言われていた。多くの想いを持って永く生きて欲しい。それが千羽鶴の由来だ。
当時、そこまで考えていたかどうかまでは分からないけれどね、と最後に言葉を添える。三人は説明された内容に感嘆の声をあげて、折り鶴を眺めていた。紙一つで生み出されたそれにそれだけ深い理由があることに驚いているのだろう。これからが大事な事だよと石切丸は言葉を続けた。
千羽鶴を作る時、綺麗に折る事も見栄えとしては大事だけれどもそれよりも大事な事が二つあるんだ。
一つ、自分が何羽折る事になっても、一つ一つに相手の事を思って折る事。それだけまじないはその想いを汲み取って効果を表してくれる。
一つ、鶴を折っても、頭を作ってはならない事。
「でも、頭を折らないと鶴って分からないぜ?」
「これも一つの伝えだよ。頭を折るっという事は本人にではないにしろ良きものではないと思われていたからね」
文字通り”頭を折る”という表現が、言霊として良くなかったのだろう。
その人が幸福であるために、一つでも悪いものから遠ざけようとする相手の事を思っての伝えだ。人に近い私達もその風習を習わなければ双方にとって失礼だからね。大事なのは形ではない。折った人の心の想いだ。
説き伏せるのではない。優しく教える石切丸に、前田藤四郎は分かりましたと大きく頷いた。
翌朝、大きな一室には短刀や脇差、太刀、打刀と多くの者達が集まった。石切丸は他に何かできる事はないか調べてみると一同に伝え、部屋にはいない。岩融の事を調べるとは言えない、代わりの理由だが、間違ったことは言ってないから問題ないと笑ったのは鶴丸である。他にも、一部の者は遠征や岩融が倒れた時代に赴いて、敵の動向を探ったりと任務を続けながらも、何か手がかりはないかと捜索をしてくれているらしい。皆、協力を惜しむことなくひたむきにやってくれている。
昨日の言葉通り、彼に付きっ切りで居ては気を張り詰め過ぎてしまうという事で、鶴丸も前田藤四郎達と共にいた。三人が中心となって折り鶴の折り方を説明し、自分達も一羽ずつ折っていく。
鶴丸が折ると聞いて、思わず声をあげて笑ったのは、燭台切光忠だった。同じ名前を持つ者が折るというのが面白かったらしい。言葉を変えれば、鶴が鶴を折るのだ。人になると色々な発見があるね。燭台切光忠の言葉に、鶴丸は笑ってそうだな、と答えた。
「俺が俺を折って作る日が来るなんてな。俺も驚いたもんだ」
数は千。主からは初めてだろうから失敗も多くするだろうと多くの紙を頂いた。本当は自分も一緒に居たかったけれども。自分に出来る事、必要な事、いつも通りの中でしていこうと言ったのは一同だ。一つの為に全てを疎かにしてはならない。岩融も同じ立場であれば、言うに違いない。そう言って皆は主の背を押した。
鶴は出来るだけ白がいいと言われた。赤や黒も縁起が悪い方に解釈される事が多く、好まれる事がないという。鶴を折るのだから、白い鶴が当たり前だろうと思っていた一同はその言葉に目を丸くしていたのも記憶に新しい。
今剣は誘ったのか?鶴丸の問いかけに、乱藤四郎が頷いた。誘ったけれども上の空な雰囲気で、本当に聞いていたかどうかは分からないらしい。岩融の事を気にして閉じこもっているんだと思う、と言うのが乱藤四郎の見解だ。考えているのだろう。多くの事を。
後で様子を見てみるか。鶴丸が何気なく呟いた一言に光忠から声が掛かる。なら石切丸の様子も見て置いてくれないかな。見に行ったら本の山に埋もれていたから、もしかしたら休憩していないかも知れない。光忠の言葉から、書物の山に囲まれた石切丸の姿を想像する。あまりにも容易にできてしまうのが、恐ろしい所だ。
現在出来上がった数は三十と余り六羽。始まったばかりとはいえ、まだまだ千には程遠い。今まで刀であった彼等は、手先を使った作業の経験も、何かを作り出す経験もない。不器用ながらも出来上がったものは、石切丸が見せたものよりも大分不格好で綺麗ではない。
大事なのは想いだ。石切丸の言葉が脳裏に過る。
(想いによるまじない……呪いか)
それが良きものであるか、否か。想いによって良くも悪くもなるのは、人だからこそだろうか。
羽を広げず、一羽の鶴が降り立つ。これで、七羽目。最終的には糸を通して連ねて完成らしい。そうして想いは繋がり、一つの願いとなる。千羽鶴とは想い無くして出来ぬもの。そう言っていた。
岩融も、今剣の想いが繋がっていたのだろうか。意識のなかった彼が今剣の心を読み取る理由とするならば、それが一番有力のような気がする。
しかし、それならば何故。岩融と今剣なのだろうか。一心同体か?否、それならば今剣にも岩融が見て、聞こえていたものが何であったのか、分かったはずだ。
(なんだ?……頭の奥で何かが引っかかってる……)
折ったばかりの鶴を触りながら、頭の中にある違和感をずっと考える。
堀川が前田の説明を聞きながら、ゆっくりと鶴を作り上げている。
何か、別の理由だと己の心が訴えている。何かを忘れている?何を?以前にも、同じような事があった……?
一心同体。
短刀と薙刀。
繋がり。
交わり。
今剣と岩融。
外で、水が弾く音が鳴る。鯉が水面から飛び出したのだろうか。池には落ちたであろう場所から波紋が広がっていた。竜にでもなりたかったのだろうか。澄み渡る青い色に、既視感を覚える。確か……。
『ぼくといわとおしはかたなのときからともにいたんですよ』
あの日も確か、こんな風に晴れた空ではなかっただろうか。
『ぼくのもとのあるじであるよしつねこうと、いわとおしのあるじのべんけいはしゅじゅうのちぎりをかわしたなかなんですよ』
あれはいつだった。
二人が、自分が人の形を作ってから、いつの話だった。
「本当に仲が良いな。二人共」
二人の姿を見ていた鶴丸は、微笑ましく言葉を掛けた。二人がおお、と声をあげて、互いに簡単な言葉を交わす。人の形になってからこうやって言葉を出す事が出来るようになった。自分の言葉で何かを伝えるというのは、なかなかに面白いと鶴丸は人の身を楽しんでいた。
今剣と岩融は基本的に一緒にいる。四六時中、毎日共に居るわけではないが、他の者達よりも一緒にいる割合は明らかに多いだろう。岩融は小さくすばしっこいものが好きだ。他の短刀達とよく外で走り回っていたり、危険のない遠征でも、山々の動物達を実に楽しそうに見ている。そういう意味では、じっとせずにあちこち飛んだり跳ねたり、走り回る事も多い今剣の事を気に入っているのも、納得出来る話であった。
鶴丸の言葉に対して、今剣はにんまりと口を大きな弧を描いて笑った。
「ぼくと岩融はしゅじゅうのちぎりをかわしたなかですからね!」
「……主従の契り?」
予想していなかった単語が出てきた。思わず声を上げて聞き返す。当然だと言わんばかりに今剣は胸を張っている。審神者……今の主との関係についた言葉ではないというのは、その様子から察せられたが、正しい意味はまだ分からない。言葉の意図を探ろうと思ったところで、岩融が笑いながら今剣の頭を撫でた。
「がはは!今剣よ、それだけでは言葉が足りんぞ。今剣とは刀の時から共にあった古い仲でな。最後まで一緒にいた間柄だ」
「おお……成る程。長い付き合いじゃないが知ってる顔なら俺も何人か居るな」
今ならば動ける人の身を持つ事が出来たが、昔は刀でしかなかった自分達は、どこかへ赴く事も喋る事も叶わなかった。ただ見る。感じる。それしか出来なかった。人の巡りで出会った刀は多くある。実際にこの本丸にも知った顔は何人かいた。言葉が続く雰囲気を持つ岩融に、無言のまま先を促した。
「互いの元の主はその当時、主従の契りを交わしていてな。千も超える時を経て、こうして姿を持って巡り合ったのも契りあってだろうと」
現代では親子は一世、夫婦は二世、主従は三世の繋がりを持つと言ったか。小さな笑いを含ませて岩融はそう言った。白き布から見えるその表情は穏やかだ。それだけじゃありません。彼にぎゅっとしがみ付きながら、今剣が嬉しそうな声で彼の言葉に続いた。
「それに岩融といっしょにいると、こころがおちつくんです」
「……ほぉ」
「……それは初耳だな、今剣」
だって、いまはじめていったのですから。しらなくてとうぜんです。目を丸くして驚きの声をあげる岩融に対し、今剣は終始笑顔のままだ。
いわとおしといっしょにいると、ひだまりにいるようにあったかくてここちいいんです。とってもおだやかになって、しあわせなきもちになるんです。
「だから岩融といっしょにいるんです!これでりゆうはわかりましたか?」
満足そうな笑みを浮かべる今剣を見て、思わず笑みがこぼれた。
「はははっ!あぁ、納得した。互いに想い合ってるって事だろう?」
それだけ想い合ってると嫉妬しちまいそうだ。鶴丸の言葉に、それは困るなと、二人共、彼につられて声を上げて笑った。
繋がっていた。彼等は、心の奥で、確かに繋がっていたのだ。
主従の契りを交わしたのは主。だが、その想いが刀に通り、長い時を持って交われば?主は我が半身の一部である。多くの刀剣男士は、主の性格であれ、外見であれ、本質であれ、引き継がれている所がどこかにある。
もし、二人の心が繋がっていて、自分の一部になりつつあるのならば。
それが、繋がった先にも影響されるのであれば。例えば、誰かを守る為に、盾となり壁となり前に立ち塞がり、視界を遮られたとしたら?
今剣は見えなかった訳ではない。
(今剣は。見えないように隠されたんじゃないのか?)
他でもない、共にいた彼に。
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お前はどうありたいのだ。その言葉に、何か言おうとした口は、何も紡ぐ事はなかった。迷っているから、声が出ないと、夢の中で男が言っていた。
分かっているのだ。どうにかしないといけない事は。自分自身、それは分かっているのだ。
だが、どうしたら良い?
未だに己を握る事すら出来ぬ自分は、考えた所で何かが変われるのだろうか?不安が、焦りが、恐怖が、心の中を食い漁る。
岩融ならば、この時どうするだろうか。
自分を大丈夫だと慰めるのだろうか。それとも、どうあるべきか叱るのだろうか。無意識に、そんな考えが過ぎって、無意識に彼に頼る自分に嫌悪感を感じた。
たすけてもらったのに、めがさめたら、ありがとうといわないといけないのに。これではわらうこともできない。
「今剣殿!どうぞ元気をお出しください!!」
高らかに部屋に響き渡る声に、今剣は伏せていた顔を上げた。その視線の先の一点に、思わず目を見張る。
丸い。
丸い何かが自分の正面にある。距離は歩幅にして十を満たぬ所。山吹のような色合いをしており、大きさは小さくはないが、特別大きいというわけではないようだ。蹴鞠に使われる鞠の大きさに似ているような気がする。
これは一体、なんだろうか。
自分を元気づけるような声も気になるが、この丸い物体も気になる。
じっと見つめていると、丸いものが突然にぽんと飛び上がった。蹴っても叩いてもいないのに、だ。突然の出来事に驚き、凝視する。
ぽん、ぽん。飛び跳ねるそれは柔らかい素材のものなのか、大きな音を立てることもなく、一定の感覚で飛び跳ねている。
怖くはないが、なんだろうか、これは。
主の新しく持ってきたおもちゃだろうか。分からぬ状況に、頭が上手くついてこれていないような感覚を覚える。敵か?敵なのか?あの声の主がこのような事をしているのか?警戒心を潜めながら、震える手を我慢して、自分の刀を握ろうとした。
「わっ」
「うわっ!?」
耳元で降りかかった声。気づかなかった存在に、今剣は声を上げて飛び退いた。身を引いて声の主を確認した時、ぽかんと口が開かれた。
「な、鳴狐……?」
「こら鳴狐!今剣殿を驚かせてはなりません!」
「………ぇぇー…」
「そんな声を出してもいけませんよ!せっかくわたくしめが元気付けようとしているというのに!」
ぽん、と丸いものが飛び上がる。え、と丸い物体と鳴狐を見比べる。驚かせた当人は、中指と薬指と親指をくっ付かせ何度か、開閉を繰り返す。その傍に、共にいるものがいない。
え。
もう一度見比べる。
もしかして。これは。
「鳴狐の……きつねさん?」
「そうだよ」
「え…、うぇええっっ!!?で、でも!でも!きつねさん、ま、まりになってますよ!?ばけたんですか!」
鳴狐と共にいたのは、今剣の記憶に間違いがなければ小さな狐であったはずだ。しかし、その目に映るのは丸い鞠にも等しいものだ。もしかして知らぬ間に、化ける術を身につけたと言うのだろうか。赤い目を大きく見開かせて、今剣は驚きを隠さず動揺する。付き人である狐……らしいそれは、ぽんぽんと身を弾ませる。
「化けてなどおりません!これは、わたくしめの特技なのであります!」
「と、とくぎ…ですか?」
「左様!ここ数日、今剣殿の元気がないと鳴狐も心配しておられました。今剣殿を元気づければどうすれば良いか。恐れ多くもこのわたくし。擬態、鞠の術にて今剣殿を元気付けようと、このような姿をした次第!」
擬態、鞠の術とは単純にその身を丸くした姿らしい。ぽん、ぽんと飛び上がっていた丸いものは姿を変えて、馴染み深い狐の姿が今剣の目の前に現れる。ちなみに、この術はまだ誰にも見せておりませんと、力強い言葉が掛けられた。狐に対し、鳴狐は手で狐の形を作り、左右に振る。行動の意味は理解できなかったが、元気付けようとしていたことに、罪悪感を感じた。どういった反応を示せばいいのか、笑えぬ今、顔を作ることができず、ただ申し訳なくて目を逸らした。
彼の様子を見て、鳴狐と付き人の狐は顔を見合わせた。鳴狐の狐の手が首を傾げる。付き人の狐は小さな足取りで今剣の元へと歩み寄り、彼の顔を見上げて覗き込んだ。
「今剣殿が何を悩み、苦しんでおられるのか。わたくしも鳴狐も分かりません。ですので、わたくしや鳴狐が悩んでいる時、どうしているかを教えましょう!」
「どうしているか……?」
悩むことがあるのか。彼にも。鳴狐の顔は変わらず無表情だ。狐を作り出していた手は解かれ、今剣の顔をじっと見つめている。
「こうして形を得ることで、多くの悩みを持つようになります。そうした時、私達は外へ出向くのです」
「そと」
「煮詰めて考えても、そこに浮かぶのはその時の感情だけです。外へ出向き、あらゆる景色を見るのです。そして、些細なことも、大きなことも、色んなことを知るのです」
今日の空模様。天気。気候。庭には誰がいて、何をしているのか。どんな表情をしているのか。畑はどんな様子か。馬は元気でいるか。今日出陣した刀は誰なのか。その安否。なんでも良い。手当たり次第と言っても良い、けれどもそれを一つ一つ、知っていくのです。色んなことを知って、心の内に留め、識っていくのです。
「その後、考えるんだ」
自分は何に悩み、どうあるべきなのか。どうしたいのか。
全ての景色をその目に移す。二つの言葉に、今剣は言葉を繰り返し、二人を見つめる。
狐も、鳴狐も、彼をじっと見ているものの、そこに嘲けも、困惑も、呆れもない。澄んだ眼差しが、今剣を、彼の心を見ていた。
彼のことが、脳裏に過る。
「……狐さん。鳴狐。ありがとうございます」
「参考になられましたか?」
「はい!とってもさんこうになりました。ありがとうございます!」
今剣の言葉に、それは良かったと狐が鳴いた。鳴狐はしばし、沈黙を続けた後、両手で顔を多い、蹲った。先ほどまでとは異なる行動に、うわ、と今剣が声をあげ。おお、と狐が鳴いた。どこか具合が悪いのだろうか、慌てて鳴狐の元に近寄る。
「鳴狐、ど、どうしたんですか?」
「これは珍しい……!今剣殿。鳴狐は照れておるのです!」
「て、てれているんですか……?」
「そうです!あぁ、鳴狐にこれほど人らしい反応を見れる日が来ようとは……わたくしは…わたくしは心より嬉しく思いますぅぅぅうう!」
「うぇえっ!き、狐さんまでいきなりなかないでくださいよぉ!」
なぜ、かれまでないてしまうのか。大粒の涙を流しながら感動する付き人の狐の姿を見て、先ほどの空気や雰囲気とは一変。二人の様子に、今剣はオロオロと慌てる。口下手な鳴狐は変わらず、蹲っており、動く様子を見せない。普段、誰かをお世話することなんて慣れていないのだ。この状況を、どうしたら良いのだ。
流石に今回ほど、誰か来て欲しいと願わずにはいられなかったが、今剣はとりあえず二人を宥める事に必死になっていた。
遠くで誰かが笑っていた声は、狐も鳴狐も、今剣にも聞こえなかった。
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多くの敵を薙ぎ払い、その刃は太く、三尺五寸の長さを持っていた大薙刀。常人では扱えぬ事が出来ぬ、大きく、重い薙刀。岩融とはそういう存在であった。
彼を生涯の武器として持ち続けていたのは、武蔵坊弁慶という大柄な男であったと言われている。普通の人は扱えぬ。その言葉通り、武蔵坊弁慶もまた常人ではなかった。
彼がこの世に生を受けて、外界へと姿を現した時、すでにその姿は赤ん坊の姿ではなかったと言う。長く母の腹の中にいたらしいその身は成長し、髪も生え、歯は生えそろっていたという。
赤子ではないその姿を見た父は「これは鬼だ。鬼が生まれた」と、我が子であるはずの弁慶を殺めんとしていた。多くの者に止められ彼は幼きながらもその異質さに「鬼若」と呼ばれていた。
弁慶はとにかく我が力を上手く扱う術を持っていなかった。多くの暴挙を起こし、悪さもしていたという。それ故に彼はどこにいても居場所はなかった。育った地である場から立ち去る時、彼は隠して名を作った。
岩融は弁慶の手に馴染んでいたという。まるで筆を操るが如く、それは巧みに扱い。持ち前の力で、刀を携える武家を圧倒していた。
九百九十九の刀を駆り尽くしたその偉業は、岩融という武器と、弁慶の実力がそれだけ手練であったかを表していると言っても過言ではない。
己の力を証明するために、刀という一つの宝を欲さんとばかりに、縁起の良い数字になぞって彼は毎夜、毎夜、刀を狩った。
最後の一振りにあたるもの、それは源義経が持っていた刀であった。義経は彼の斬撃を天狗のような身軽さで触れる事なく、彼に一手を与えたという。彼の実力をその身に、心に刻んだ弁慶は彼に使える事を約束し、主従の契りを交わしたとされる。
かの者達は生涯までその傍におり、強き心を持って生涯を生き抜いたと言う
和紙に綴られた書物を閉じ、ふっと止めていた息を吐き出す。山のように連なった書物の数々。これら全て「岩融」に関わるもの全てである。一節のみであろうと、彼そのものを綴ったものであろうと関係ない。彼に一つでも関わっているものは全て集めてもらうように頼んだ。
読み始めてからどれほどの時間が過ぎただろうか。日が高かったはずの空が傾き出しているのが見えた。石切丸は口元に手を添えて、思考する。
思ったよりも、記録が少ない。
石切丸の記憶に、間違いがなければ彼は確か。平安時代に存在していたとされていたはずである。当時、あらゆる事象などを記録するものはそう多い訳ではなかった。大きな戦も今日に至るまで各所にて多く起きていた事もあり、血や水による液体や、硝煙、埃、炎。その存在の期間が長ければ長いほど降りかかる障害は多い。故に、綴られたものの保存状態が悪く、当時の記録を探るのは難しい。そういった例は無くもない。それを踏まえても、少ないのだ。書物のほとんどは全体的に見ると比較的新しく、当時を記した記録は、無いに等しいものばかりだ。
気になるのはそれだけではない。岩融を調べる代わりに、彼の持ち主である「武蔵坊弁慶」の存在が、顕著に多く記されているのである。当時から物はそれ以上でもそれ以下でもない。物のあり方は、持ち主の行い一つで変わってくる。記していく者も、その行いを記録しているに過ぎないだろう。「武蔵坊弁慶」の話になれば、薙刀の「岩融」の言葉は出てくるが、その程度であり、彼の素性に関わる物全ては記載されていない。
書いた者が情報が少ないあまり、記す事がなかったのか。どれも和紙一枚にも満たないというのに?
(これではまるで、無い物を、あるように見せているだけ……)
ならば、彼は一体誰だ。なんだというのだ。
激しい足音が遠くからやってくる。まるで落ち着くことを忘れた暴れ馬のような音だ。誰だろうか。視線をそちらに向ける直前に、微かながらに開きかけていた襖が、音を立てて勢いよく開かれた。傾いた日差しは赤い色を持って振り返った目に直接降り注がれる。先ほどまで暗い一室にいた為、暗闇に慣れてしまった目は、赤い光に、拒絶反応を覚えた。目を細め、現れた来訪者の姿を確認する。赤い服……否、赤い光を吸ったのか、元は白い服を身にまとう者、鶴丸は微かに息を乱しながら、石切丸を見ていた。
「全部繋がっていたらどうなる」
乱れた息遣いの中、言葉を問われる。
「今剣と岩融の心が繋がっていたとしたら、片方に心が乱れたらどうなる」
「どうなるって……?話の意図が見えないが……」
「主従の契りを交わした持ち主の性質を受け継いでしまえば。三世をも繋がる契りだ。その本質、心が、魂が繋がってしまってもおかしな話じゃない」
繋がっていたから、あいつは今剣に気づいたんだ。
金色の目が、僅かに歪みの色を見せる。親子は一世、夫婦は二世、主従は三世に渡る繋がりを持つ。深い繋がりが、あらゆる事に干渉していたら。石切丸は目を見開き、鶴丸から視線を外した。おい。鶴丸の声を無視して、彼は書物の山を二度三度分けて、一冊の本を手にする。頭に記された記憶を探り、紙を捲る。他の書物も、手にして、捲り。手にして、捲って。
刀だけではない、武器とは共にいる時間が長ければ長いほど。持ち主の心を映し出し、継承して、やがて半身となる。
岩融は武蔵坊弁慶と人生の半分近く、共に在った。
主従の契りは持ち主の性質。
刀は持ち主の心を映す。性質をなにかしら、継承する。
弁慶は鬼若と言われていた。
弁慶は毎夜、刀を狩っていた。
継承されていれば、岩融は毎夜、刀を狩っていた。
岩融は、鬼の名を潜めている。
「悲願だったのかも知れない」
石切丸は厳しい顔つきで鶴丸を睨むように視線を向けた。呼吸が落ち着いてきた鶴丸の表情も真剣味を帯びていく。
「岩融の持ち主である武蔵坊弁慶は、無意識に「人」になる事を望んでいたのかも知れない」
「無意識に……人に……?」
「幼き頃から鬼と言われ、居場所が無い彼は並の幸福を手にした事はない。千本の刀を神に差し出す事で悲願を叶えるつもりだったのかも知れない」
千羽鶴と一緒だ。千の想いで一つの願いを望んだ。
全て本当かどうか、定かではない。その本人はいないのだから。
だが、もしも。それで彼は刀を狩っていたのならば。千の想いで神に献上して、願いが通ずるならば。
岩融が見えた黒い童は。黒い童が探していたのは。
「彼」は誤った事を起こしてしまったのだ。
そうだ。だから、彼は、心臓を食われた。
「黒い童は、岩融の中に宿った九百九十九の魂だ」
「……は」
「武蔵坊弁慶は、「鬼」から「人」になる為に。岩融を使って毎夜、人を襲っては刀を狩っていた。一つの願いを千の刀を神に献上しようと考えていた。でも行いが悪かった。彼の中に、無念と恨み、後悔を持った刀の魂が入り込んでしまって、その魂は、武蔵坊弁慶を食い殺そうとしているのなら」
黒い童は……刀に宿る魂は、その性質を持っている岩融を、「鬼」に仕立て上げるか、本当の意味で「食い殺す」つもりだ。石切丸の口から告げられた言葉に、鶴丸は目を見開き、すっ、と息を吸い込んだ。
願う事に良し悪しは無い。武蔵坊弁慶は、「人」になって並の幸福を感じたかっただけだ。
しかし、彼はそれを手にする術を知らなかった。故に神に頼った。神に己の力によって手に入れた刀を差し出す事で。奪い取った刀には、武蔵坊弁慶に向けられた怒りや恨み、持ち主の無念と後悔が込められていたはずだ。夜な夜なに襲われ、「鬼」とも呼ばれていた力によって奪った。作ったのではなく、探し、手にしたわけではなく、奪った。
奪われた人は、手放す直前には行き場の想いを感じていたとして、その想いを刀が受け継いで、その想いでこうして「付喪神」になったとしたら。我等と同じように”形”になったのだとしたら?
九百九十九の魂が、彼に対する復讐は、呪いは。人から遠ざける事。
だから、彼は見るはずもない夢を見ているのだ。感じるはずもない痛みと感覚をその身に受けているのだ。夢という意識の中で彼は戦っている。歴史と同じように、毎夜、彼を「鬼」へと陥れようと襲いかかってくる魂を相手に。
その上で、彼は今剣を「守ろう」としているのだ。繋がったその先には、彼がいるから。彼に被害が及ばぬように。過去の記憶が呼び起こされ、現実に恐怖している彼の心の揺らぎを感じ取って、我が身の事も気にせずに。
少しずつ焦り出す気持ちを押さえ込み、鶴丸は石切丸に尋ねた。
「理由は分かった……どうにか、手は打て無いのか」
「相手は夢……いや、この場合、彼の心の中か……そんな場所では「余所者」が入り込む余地はない。……岩融の実力次第だ」
神であろうと人であろうと、そこまでの介入は出来ない。くそっ、と普段は見せない苛立ちの表情を浮かべ、舌を打つ。
仲間が今この瞬間、永い夢の中で戦っている。
決して少なくない大群を相手に、一人で戦っている。
それなのに、何も出来ないのか。
岩融と繋がりのある今剣なら、もしかしての可能性を持っている。そんな考えが浮かんだ時、鶴丸は首を振った。彼は今、己の身で手一杯だ。武器も持てぬのに、岩融の側にいるのは、危険を伴う。岩融の事だ。己の事を放り捨て一番に今剣を守る。主従の契りを交わしているのを含めて、岩融はそういう奴だ。
「現在」の二の舞になる事など、目に見えている。
「千羽鶴はどこまで進んだんだい」
落ち着いた声に、鶴丸は顔を上げた。石切丸が真剣な表情で鶴丸を見ていた。千羽鶴。折っていたんだろ?もう一度、同じ言葉を告げる。突然の話題に、思わず口が開かれたまま、閉ざすのを忘れてしまう。
折り始めてから数刻後、出陣に出ていたものが戻ってきて、自分達の行いに大層驚きを見せていた。岩融が倒れた場所と時間に向かってはみたが、歴史修正主義者の姿は、もう何処にもなく、自分達の存在を認識し、手を引いてしまったのではないかという事になった。山姥切と鳴狐の牽制と、太郎太刀が岩融を運んだ後に少しばかり、暴れたのが効いたのかもしれない。
そして留守をしていた面子から千羽鶴の話を聞いて、ならば自分もと始まった。
自分が退室した時、机にはすでに山が出来ていたはず。
「……確か、二百は超えてるはずだ。出陣していた連中もやり出したし、もう少しあると思うが……それがどうした」
「……そうか。ならば明日、出来ているかも知れない訳だね」
含みのある言い方が、どこか気にかかる。千羽鶴の意味を知っているのは、石切丸だけだ。あの時前田藤四郎と愛染国俊に言った意味の他に、何か意味があるのか。
「なぁ、石切丸。……お前、何を隠している?」
「……隠している訳じゃないよ。ただ、あまり幼子の耳に入れたくないものでね……」
特別良い話でもないんだ。だから、千羽鶴が完成した時に、教えるよ。鶴丸の鋭い言葉に、石切丸は苦い笑みを作りながら避けるように言葉を躱した。どちらにしろ、私達に出来るのは彼を信じて待ち、来るかもしれない事に対処しなければならない。それだけだ。石切丸の言葉に、鶴丸は苦虫を噛んだような表情を作る。
「教えてもらわないと俺も何もしようがないんだ。ちゃんと教えてくれよ」
「勿論だよ。最悪の場合、君の力を借りないといけなくなってしまうからね。……本当ならそんな場合、起きて欲しくはないんだけれどね」
「……俺だってそんな驚き、欲しくもないな」