願いに刃を隠して



 夢を見る。自分はどこか橋の上に立っており、そこは雨が降り続いている。優しくもない、激しい、我が身を貫かんばかりの強い雨だ。
 視界は悪いはずのその世界は、何故かよく景色が見えており、なれども橋の向こうを見る事は叶わない。
 気づいたらそこには、刀を持つ者が立っている。
 ある者は刀身の長い太刀を。
 ある者は頑丈に作られた打刀を。
 ある者は、鋭く作られた脇差を。
 刀を持つ者は、自分の姿を認識すると、鞘から刀身を浮かび上がらせ、自分に戦いを挑むのだ。

 斬らねばならないと、誰かが言った。
 決して折れてはならぬと、誰かが言った。
 それが誰の声なのか、言葉なのかは分からない。だが、それが「是」だと疑わなかった。
 己の半身を持って、毎日、誰かと戦っている。

 雨は止まない。
 視界が見えていようとも、その音が聞こえなくとも、雨は苦手だ。
 けれども、夢の中の自分はそれを気にせんと雨をその身に受けながら、戦っていた。斬った感触を確かに感じながら戦っていた。斬られた痛みを感じながら戦っていた。
 心より楽しそうに。心より苦しそうに。

 貫く雨は、まるで我が命を奪わんとする矢のようだ。
 だから、雨は苦手なのだ。彼が悲しんでしまうから。
 守らねば。
 守らねば。



 その為に、何を斬るというのだろうか

 聞こえた声は、どこかで聞いたことがあったような気がした。


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 長い廊下を一歩一歩小走りに歩いていく。たん、たんと軽やかな音が耳に入り込む。空は青く澄み渡り、時折、鳥の鳴き声が零れる。廊下の突き当たりを二度、三度へと曲がりながら進む。
 廊下を進んだその道中に、庭へと続く、石段がある。石段を降りて、その先の庭を歩き、小池のある橋を渡ると、小さな離れ座敷がある。今剣の目的地は、そこだった。
 石段に腰をかけて、持っていた下駄を履く。この身を持った時から覚えられた習慣の一つだ。高さのある下駄を履いている今剣にとって、高さのない世界はどこか圧迫しているように感じた。岩融も、同じことを言っていたような気がする。どこか笑いながら頭を撫でてくれる彼の顔が脳裏によぎり、はたりと動きが止まる。震えだした唇を強く一の字に結んだ。大丈夫。大丈夫。心の中で何度も言い聞かせる。

  岩融が倒れて、二日が経つ。今剣も昨日、太陽が半分過ぎた頃に目が覚めた。大した怪我は負ってなかったが、自分が思っていた以上に疲労困憊していたようだ。必死で走っていて、道中のことはなにも覚えていないが、聞いた所によると本丸に戻ってから意識を失っていたという。
 彼は。岩融は、心の臓を貫かれた。
 人であればその瞬間、命を終えていたであろう。人ではない存在だからこそ、皆が手入れに神経を注ぎ、諦めることを良しとしなかった。そう。みんな頑張ったのだ。だから、大丈夫。大丈夫。彼は、折れぬのだ。
 庭へと足を運び、鯉が泳ぐ小さな池のある、橋の上を歩く。視界の端で、餌をくれると思ったのだろうか、錦や赤、白色の魚が自分の後を追っているのが見えた。
 離れ座敷を使うことは、そう多くはない。大体の要件は母屋に当たる本丸でどうにかなれるから。それでも、今剣がその場所へ向かうのは、そこに岩融が居るからだ。本丸で寝かせておくと皆が気を遣い、心配し、気が気ではなくなるだろうからと、彼も今までよく働いたのだからこれを機会に長い休みを設けてやらないといけないと、確か、そんな話をしていたらしい。事実、彼は多くの戦果を出して、戦以外でも、彼はよく気遣い、多くの者達の相手をしてくれていた。その言葉が誰から言ったとしても、きっと誰もが賛同していたであろう。

 座敷に一歩ずつ近づく度に、心が震えだす。彼がいるはずだというのに、酷く静かで、もしかして、と不安さえも感じてしまう。だってほら、入り口の前に立っても、音が聞こえないのだ。
 まるで、ここだけ世界が違うようだ。
 わずかに震えた手を、なんとか止めて。閉ざされた扉に手をかけた。同時に、ガラリと引き戸が引かれた。予想だにしておらず、今剣の体が僅かに揺れた。しかし、視界に移ったものは自分の頭上から声をかけてくる。

「今剣。もう具合は良いのかな?」
「い、石切丸……お、おどろかさないでください!」
「おや、驚かせてしまったのか……それはすまないね」

 戦に出る時とは違う着物を身に纏い、石切丸がどこか困ったように笑いながら今剣の頭を撫でた。気配を感じたから誰かと思っただけで、驚かせるつもりはなかったんだけど。彼の言葉に、離れに近づくと神経が研ぎ澄まされ、岩融も気になってしまうだろうからあまり近寄ってはいけないと、昨日言われていたことを思い出す。幼き少年の姿に、石切丸が優しい笑みを浮かべる。

「岩融は中でまだ寝ているけれど……姿だけでも見て行くかい?」

 彼の申し出に、目を丸くする。

「……いいんですか?」

 近寄ってはいけないと、言われていたのに。
 石切丸はニコリと笑みを見せる。

「一番仲が良い君だからこそ、だよ」

 他の皆には内緒にしておくから。
 石切丸はそう言うと、引き戸の扉を動かした。扉は小さな音を立てて、座敷の奥へと今剣を誘い込む。
 音は、静寂。今まで閉ざされていた為か、開かれたその先に、光は見えない。まるで闇のようなその空間に、今剣は石切丸の表情を伺った。入って良いのだろうか、彼は大丈夫なのだろうか、色んな言葉が頭の中を回り続ける。けれどもそれが言葉に出来なくて、彼の顔を見ることしかできない。今剣の思いが通じたのか、はたまたそう予測したのか、石切丸は静かに頷いて、彼の背を押した。彼の後押しに、今剣は一歩だけ、暗闇の中へと足を踏み入れる。
 座敷はそう頻繁に使わない。それ故に室内は綺麗に整頓され、散らかされた様子はない。部屋の空気が少し冷えているのは、日が入っていないからだろう。そんな暗い部屋の中で、岩融は居た。石切丸の言っていた通り、目を覚ましていない彼は、今剣の来訪にも反応を示すことはない。思っていたよりも、傷は治っている。近寄ってみれば僅かに呼吸する音が聞こえた。命がまだ動いている証拠。

 生きているんだ。
 岩融はまだ、生きている。胸の奥がじわりと熱を滲ませる。生きている。

「いちどもめをさましてないんですか」
「……そうだね。危険な状態から脱したとは言え、未だ重傷であることに変わりないから」
「……だいじょうぶだっていっていたのに」

 大丈夫ではなかった。二日前に見た、彼の笑った顔が頭の中を過る。この程度の雨では風邪は引かないと言って笑っていた。自分が何故、岩融の名前を呼んだのか。その理由を聞くのを待とうと笑っていたというのに。
 彼に非がある訳ではない。彼は何かが見えていた。何かが聞こえていた。

 本当に非があるのは、あの時音が聞こえなかった自分だ。
 本当に非があるのは、あの時何かが見えなかった自分だ。
 そう、本当はあの時、その身が貫かれたのは、紛れもなく自分だった。

(まもるべきかたななのに)

 守られた。そしてその身が失いかけた。守る為の刀が、薙ぎはらう刀に。
 今剣は立ち上がる。

「岩融がめをさましたらおしえてください。いっぱいしんぱいをかけたんだって、みんなのかわりにいわないといけないので!」
「そうかい?……なら、彼が目を覚ましたらいの一番に、今剣に知らせないとね」

 でも、ほどほどにしておきなよ。
 怪我人に説教をしても、大変なのだ。双方にとって。赤い瞳を見つめながら、彼の為に笑った。石切丸の笑みに、今剣も笑顔を見せる。今日初めて見た、笑顔。あまり長居すると秘密がバレてしまう。だから外に出ていますね。今剣は足音を立てぬように、いつものように軽い足取りで扉へと向かい、外と中の狭間で振り返る。
 ありがとうございました。岩融のことおねがいします。
 直角と言っても良いほどの深いお辞儀。自分に出来ることは、彼を待つことだけだと、認識しているのだろう。だからこそ、石切丸にそう頼んだ。いつものような笑顔を見せて、今剣は外へと駆け出した。石切丸はその様子をじっと見つめ、見送った後。視線が少しだけ、右へと移動する。

「君が来るとは思わなかったな。いつ、帰って来ていたんだい?」
「おいおい、気づいてたんならそのまま驚いてくれても良かったんじゃないか?」
「これでも驚いてるつもりなんだけどな」

 扉の影から姿を見せたのは全身が白という一色染まったその出で立ちは、戦場に出ればさぞ目立つであろう。否、戦場だけではない、どこに居てもその存在は主張される。鶴丸国永は、驚かすつもりだったのになぁと言葉とは裏腹に明るい声で、座敷へと上がり込んできた。確か彼は、数日前に遠征へと出向いていたはずだ。鶴丸は岩融の姿を一度見た後、石切丸に視線を向ける。

「帰って来たのはついさっき。帰って来たついでに驚かそうと思ったら、岩融が心臓を貫かれて重傷を負ったって言うから逆に驚かされた」
「驚かすつもりで、傷を負ったわけではないよ」
「驚かすつもりなら俺が傷を負わしてる所だ。それで今剣の姿が見えたから、気になって後を追ってきた訳だ」

 視線がそのまま岩融にへと目を向ける。どうなんだ。落ち着いた、静かな声だ。問いかけの意味を全て聞く必要はない。石切丸も岩融に目を向けて、彼の中央を、心の臓がある位置に目を向けた。紅く彩られていたその場所に、もう色は無い。砕かれなかっただけでも、奇跡のようなものだと、石切丸は言う。
 別に心の臓の位置を貫かれたからと言っても、人のように死ぬ訳では無い。自分達は人のように形作られた人では無いものだ。見た目がどれだけ人に近いと言っても、臓器まで再現されている訳では無い。自分達にとって半身であり、命とも言え、武器である「刀」が破壊された時。初めて死が訪れる。
 ヒビは入っていた。折れかけていた。それでも死なずに済んだのは、彼を死なせ無いと皆が奮闘してくれた事、彼の運の良さと言っても良いかも知れない。彼は、運が良かった。本当であれば直っていても、重傷ではなく、重体になる所なのだから。

「原因は?」
「他の皆が駆けつけた時、岩融は既に貫かれ、今剣の身が投げ出されていたと聞いてる。歴史修正主義者が今剣を狙っていた所を、岩融が今剣を投げて助け、貫かれたっというのが今の所の見解だね」
「敵さんはそんなに多かったのか」
「思った以上にね。山姥切国広と鳴狐が上手く数を減らして、雨を利用して退却したらしい。彼を貫いた敵は、彼が気を失う寸前に斬ったとも、言っていたよ」
「……凄いな。俺にはそんな芸当、出来ないね」

 やろうと思って出来るものでは無い。出来ても倒せたかどうかも怪しい。守るために、彼は貫かれた後も刀を振ったのだろう。強い精神力だ。否、覚悟の表れに近い。人の身になる前から、「刀」であった時からの関係だと、今剣が昔言っていた。主従の関係であったと。繋がっている思いの力。


 ひゅっ、と音が鳴る。呼吸の流れが、変わった。
 二人が岩融の顔へと目を向けると、ゆるりと瞼が動き、瞼が開かれた。橙色の瞳が、ゆらりと動き、石切丸と鶴丸国永へと動かされ、止まる。呼吸は不安定ではあるものの、大丈夫、まだ出来ている。おお、と鶴丸が声を上げる。

「目が覚めたか。心配したぞ」
「……今、剣はっ」
「彼なら外に出ているよ。大丈夫、怪我はしていないよ」

 違う。掠れた声が二人の耳に届く。違う。行かねば。今剣の所へ。行かなければ。痛みも引いていない体は熱を帯び、呼吸が少しずつ荒くなる。それでも岩融は何度も繰り返した。違う。違う。行かなければ。口だけでは無い。腕が震えながらも無理やり動かして、その身を起き上がらせる。差し込まれた日の光に目を向けて、岩融は起き上がりかける。塞がれたとはいえ、重傷なのだ。二人は慌てて彼の肩を抑え込む。

「落ち着けって!まだ完治してねぇんだ。無理すんな!」
「泣いてるんだ。助けを待ってるんだ。俺が、行かねば」

 岩融の言葉に、石切丸が眼を細める。

「泣いてる…?どういう意味だい?」
「どういう意味も何も……岩融が心配で仕方ないって事だろ」
「咽び泣く声が聞こえるんだ。俺の心が、揺らいでるんだ。助けを求めてるのに、どうにも出来ずにいるんだ。あいつは」

 だから俺が行かなければ。呼吸するのも辛くなってきたのか、時折、咳が混じり込む。岩融の言葉に、石切丸と鶴丸国永は、顔を見合わせた。先ほどまでの今剣の様子は、岩融を心配している節は見えたが、助けを求めているようには感じられなかった。その様子を、岩融は知らないから、何か勘違いをしているのではないだろうか。
 聞こえるとは、どういうことだろうか。揺らいでいるとはどういうことだろうか。ただ口走っただけのようには、彼の性格を含めても考えにくい。混乱しているのかもしれない。石切丸は鶴丸国永の名を呼んだ。視線が合ったことを確認し、そのまま視線を扉へと向ける。

「今剣をお願いする。私は岩融の方を」
「……岩融のことは」
「黙って」

 言ってもこれでは話もなにもない。鶴丸国永は一つ頷いて、すぐに岩融から身を離れた。タイミングを逃さぬように、石切丸が両手で彼の肩を抑え込む。同じぐらいの体格だ。弱っている彼を抑え込むのは難しくはない。ぜぇぜぇと息を荒くした岩融は、石切丸を睨む。気が立っている様子だ。

「行かせてくれ、石切丸」
「駄目だ。今剣は様子を見に行かせた。君はまだ寝ていないと……また傷つく。そうなると彼はもっと悲しむよ」
「石切丸」
「今の君に出来、するのは、慰めることじゃない」

 そんな震える手で、どうするというのだ。碌に動かす事も出来ない体で、どうやって彼の元へ向かうというのだ。彼自身、それは分かっているはずだ。石切丸の言葉に、岩融が苦い顔を作る。的を得ているからだけではないはずだ。今も尚、彼の体は痛みと熱で侵されているはず。何故、今剣が泣いているのか。本当に泣いているならば、何故、岩融がそれを知っているのか。揺らいでいるとは、どういう事なのか。
 今までも何度か怪我は受けた事はあった。今回ほどじゃないにしろ、重傷も数多く受けている。その時、こんな事は無かった。傷を癒し、直った所。二人は笑っていた記憶が有る。
 今までとは違う何かが、起きている。

「岩融。君は貫かれる前、何を見たんだい」
「……黒い童を見た」

 見つけたと言われた。逃がさないと言って今剣の足を掴んでいた。沢山の手だ。守ろうと気づいたら動き、貫かれた。眉間に皺を寄せていく石切丸の目を逸らす事なく、岩融は自分の見えた景色を話した。互いにどういう性格か理解している。岩融がこの状況で嘘をつく事はない。石切丸がこの状況で冗談や嘘だと切り捨てる事はない。他のもの達よりも関わりがあるからこそ、断言できる。
 黒い童。それが、原因で、彼は貫かれた。今剣は泣いているというのか。
 今剣は見えていたのか。石切丸の問いかけに対し、岩融は小さく首を振った。答えは、否。あれを、今剣は見えていなかった。他のものも、見えているとは思えない。岩融は呼吸を不規則に乱しながらも、はっきりとそう告げる。
 とにかく。石切丸が言葉を区切らせる。

「二日間寝ていたけれど、まだ完治していない。しばらくはまだ安静に…」

「……二日?」

 はっ、と息が溢れる。暑い。いや、熱い。溶け出すようだ。頭の奥で、何かが縛っているような痛みを感じる。二日しか経っていないのか。重ねるように尋ねる岩融の顔に肯定しながら、石切丸は彼の目を見た。覗き込んだ。目を。その中を。その奥を。しかし、岩融の目が、僅かに逸れる。

「二百と十、余り三の刀を狩った」
「?……それは」
「戦場ではない……夢の中でだ」

 雨が降る中で、一本ずつ刀を狩っている。一日という区切りがあるのかすら分からない、途方もない時の中で、薙刀を振って人を斬って、刀を斬り崩す。斬れと心が叫ぶ。斬って守れと、心が叫び続ける。だから毎日、刀を狩っている。二百と十、余り三。しかし、実際。現実での時間は二日だけという。刀を持っていた手の感触も、斬られた痛みも、斬った感覚も全て。鮮明に覚えているというのに。現ではそれは無い。ただの夢。否。

「ただの夢で、斬られた痛みを覚えるものか」

 なぁ、石切丸よ。俺は一体、何を斬っているのだろうな。夢の中で。
 決して視線が交わらない中。岩融の問いかけに、石切丸は答えがみえず、黙っていた。
 黙っていることしかできなかった。




 座敷から出て、本丸へ行き。そういえば、彼がどこに行ったのか、告げていなかった事を思い出す。この本丸から探し出せと言うのだろうか。探し出すだけでもどれだけの時間を要するというのか。考えただけでも疲れる。
 さて、どうしようか。
 聞きに回っても良いが多くの人に知られると下手に勘ぐって岩融の事がバレる可能性がある。目が覚めたという事実だけならば喜んで伝えたい所なのだが、あの状態で教えるのは、少し酷だ。常に動き回る子ではあるが、もし彼が本当に泣いているのであれば、どうするだろう。いつも一緒にいる相棒は、傷を負って眠っている。他に信頼できるものの側に寄るか……否、身なりや言葉は子供とそう変わらぬと言っても、人の子ではない。そもそも、彼は誰かに頼るのだろうか。彼の性格を考えて、分析して、今日の天候と様子を見て、想像する。驚かす為にと観察は怠るような事はしていない。分析は得意分野だ。
 この本丸で、離れ座敷から距離があり、その上、誰にも見られない場所。

「……いやいや。流石にないだろ、俺」

 浮かび上がった可能性に、鶴丸は一人、首を振る。彼がまさかそんな。しかし、多くのものの目を掻い潜るのは、そこしかない。

 本丸の庭にある連なった二本の大木。ある時には桜を、ある時には紅葉が見られるこの木は、夫婦の木だ。理屈はよく分からないが、四季の光景がよく見れるようにと作られたらしく、春には木の下でみんなで花見なんて事をしていた。鶴丸にとって、この場所は隠れんぼするのに最も適さない場所でもある。一番最初に捜索される場所だからだ。
 今の季節、夫婦の木には、青い葉が生い茂っている。そびえ立つ木の枝に、この葉に隠れるように、今剣はそこで座っていた。ここからなら、色んなものがよく見える。誰がどこに行くのかも。何をしているのかも。視界の奥に見えたものに、今剣は目を丸くした。白い姿が見える。よく、目立つ白さだ。白い身の彼は、頭を掻きながら大木へと近づく。

「よぉ。ここにいたのか」
「鶴丸?かえっていたんですか?」
「ちょっと前にな。帰ってきた時に、お前さんを見つけたんで、様子を見に来たんだ」
「?…ぼくのようすをですか?」

 何故と首をかしげる今剣に、鶴丸は一つ笑みを浮かべ、大地を蹴る。大木の枝に手を掛けて、よっ、と声をあげて登り、彼の隣へと寄る。大木から見える景色に絶景だなと嬉しそうな声が聞こえた。

「助けて欲しいのに、それが言えない人の子みたいだった」

 一瞬だけ、息が止まった。その音は、鶴丸にも耳にも、確かに届いた。聞こえたと同時に、おいおい、と心中で驚きの声を上げる。岩融の言葉をそのまま伝えただけだ。本当に彼は、助けを求めていたのか。その心中で。顔に出さないように、もう一度強く笑った。

「そんな顔してたぜ。岩融のことはで迎えた連中に聞いたけど、それにしたって気分が沈みすぎるんじゃないのか?」

 いつも元気なお前らしくもないと言いつつ、今剣をじっと観察する。指摘された事についてどう反応をするのか。驚きか、動揺か、泣くのか。しかし、目を逸らした今剣は、本丸を、庭を、否、虚空を見つめているのだろうか。遠くを見つめ、喋る様子を見せない。…喋るつもりは、無いということだろうか。何かを隠しているというのは分かるが、何も心を読めるわけでは無い。口から言ってもらわねば、こちらは手の打ちようが無い。
 石切丸の方が適任だったのではないかと疑わずにはいられない。しかし、もう手遅れだ。何かもう一手加えてみるか、と考えた時。鶴丸は一つの事に気がつく。

 おかしい。
 最初は身を前に屈んで、彼の体の正面を横から覗いてみる。
 無い。
 今度は身をギリギリまで引いて彼の背面を見る。
 やはり、無い。身を戻すと葉が少し揺れた。

「今剣。『自分』はどこにあるんだ」

 短刀が見当たらない。命と同等とも言える自分の半身である、短刀「今剣」を「彼」は持っていない。
 何も、必ず持ち歩かねばならないという法があるわけではない。刀が傷ついていれば手入れに移動されて、修繕するし、内番の畑仕事や馬当番の時は何かあってはいけないという事で刀を預かる事はあるが。彼に傷はなく、預かっているようには見えない。
 短刀の本分は守り刀。常に持ち歩き、己の身を守る為の隠し武器。以前より、義経公の守り刀であると誇らしく語っていた今剣が、それを怠るとは思えない。刀身が長く持ち歩くには不便な大太刀でも太刀でもないのだ。

「もってないです」

 ただ一言だけ告げられる。声は固く、震えているようにも聞こえた。

「持ってないって……自分自身だぞ?」

 今剣の言葉に、鶴丸は瞠目する。自分の意思で自分を手放すなんてことがあるのか。鶴丸の驚きを含ませた問い掛けに、そうです、と。自分自身です。と答えが返ってくる。僅かに唇を震わせた。

「もてないんです。ぼくじしんなのに」
「……持てない?」
「もつとまっかになるんです。あかくて、あつくて、くるしくて。ぼくなのに、ぼくにさわれないんです」

 己の掌を見つめながら、ぽつり、ぽつりと言葉が零れていく。『自分』を持つと、『自分』が震えた。恐怖した。他でもない『自分自身』であるはずなのに。それを手にしたら世界が赤く、紅く染まっていく。認識した途端、我が身が溶けてしまうような熱さが。我が身が砕かれたような痛みが。自分に襲いかかってくる。今剣は、その景色を知っていた。その痛みを、知っていた。だからこそ、心の奥から溢れる絶望を、苦しみを止める事ができなかった。言葉と共に、はらりと水が零れていく。震える体を抑え込むように、両手で抱きしめた。

「むかしのことがあたまのなかにでてきてにぎれないんです。あのときも、ぼくが岩融をまもらなきゃいけなかったのに、まもれませんでした」
「…あの時は、敵が多く居たんだろ?二人じゃ、やれる事にも限度がある」
「ぼくがみえていたら!きこえていたら!たいしょできていれば!!岩融はぼくのかわりにけがすることはありませんでしたっ!?」

 ぼろぼろと雨のように零れていく。悔しい。悲しい。辛い。感情が混ざり合い、言葉に出来ないものが心を支配する。
 ああ、ああ、なんと情けない。
 なにが守り刀か。大事な人の命を、その身で消し去ったというのに。
 なにが守り刀か。共にあろうと交わした戦友を助けられなかったというのに。
 なにが守り刀か。守られ、恐怖し。己の身すら持てないというのに。
 ぼくじゃ、まもりがたなのやくめははたせないのか。
 止めどなく流れる涙を拭いながら、悔しさに唇を噛む。限度だろうと関係ない。いつ、この身が砕かれてもおかしくない立場にいるのだ。自分が守らなければならないというのに。それが成し得ない刀なぞ、誰が必要とするか。
 しばらく聞いていた鶴丸は、無言のまま今剣の頬を触り、両の頬を摘んだ。突然のそれに今剣ははくりと口を閉した。鶴丸はそんな今剣の反応を気にせず、摘み上げた肌を軽く引っ張り上げた。柔らかい頬は形を変え、不器用な笑みを作る。いたいですと不恰好な声が出る。溢れる涙は頬を伝い、鶴丸の指から手首へと流れていく。濡れた赤い瞳が、黄金色の瞳と合わさる。彼は、真剣な面差しで今剣と向き合っていた。

「なぁ、今剣。お前、自分のせいで岩融が怪我をしたって……本当にそう思っているのか?」
「……だって」

 自分が、何か気づいていれば。岩融の変化にいち早く気づいて対処できていた。自分が見えていれば、あの時自分の変化の意味に気づいてどうにか出来ていた。それは、紛れもない事実だ。伏せられる赤い目に、一息、鶴丸の口から吐き出された。どこか呆れたような、困ったため息。

「お前さんは、もうちょっと見るもんを変えないといけないな」
「みるもの…?」

 どういうことですか。今剣の問いかけに、鶴丸は笑って、摘み上げたそれを手放し頭を撫で回した。髪が乱れんばかりの力強さに、うわ、と声を上げる。彼は手加減というものを知らないのだろうか!

「よおく、よく考えろって事だよ。ほれ、そろそろ涙引っ込めないと腫れ物が出来ちまうぞ」
「う、あっ……鶴丸!あんまりつよくなでないでください!」
「おお、悪い悪い」

 悪びれた様子もなく、鶴丸は笑う。頭部を触ってみると思った通り、髪が乱れてしまっていた。これを直すのに、どれだけ時間がかかるのか。文句を言おうと口を開けば。今剣の機嫌を察知したのか、いけない、いけない、と笑いながら腰掛けていた木の枝から飛び降りる。今剣が、鶴丸の名を呼ぶ。彼の呼び声に応えるように、鶴丸は頭上を見上げて、一つ、笑みを零した。

「まっ、俺も岩融の事は気になっていたんだ。お前の言うその『何か』ってヤツ、俺と石切丸の方で調べてみようかね」
「石切丸も…?」
「あいつもどこか引っかかる所があったみたいでな。今まで戦ってきた敵なら心臓を食うよりも、刀を食べるだろう?俺ならそうする」



 刀を食べるのは比喩だ。本当に食べる訳ではない。だが、同じ穴の狢とも言える連中ならば、臓器もない身の体よりも半身である刀が大事である事は分かっているはずだ。察する事も難しい訳ではないはずだ。
 しかし、敵は、岩融の無き心臓を食った。意図的に狙ったとするならば、そこに意味があり、ならばそれ等全ては、岩融に関係のある何かであるはず。石切丸も、恐らく鶴丸と同じ考えに至るはずだ。先ほどの岩融の様子を、彼も見ている。
 彼の中が原因か、外が原因か。
 場合によっては出陣も考えねばならない。主に言わないといけないかなと、自分達と共に戦う人間の姿を脳裏に浮かべてた。


 今剣は自分の刀を持つことが出来なかった。しかし、持てぬからと言っても自分自身を放置してはいけない。最終的には部屋に置かれていた刀を拾い上げて、鶴丸が代わりに、今剣の腰に、『彼』を挿した。手にしなければ、その『恐怖』は見えないらしい。刀掛けに掛けてやっても良いのだが、守刀はいつも傍にあるべきだ。暫くはそのまんまだなと鶴丸の言葉に、今剣の赤い目が僅かに潤んだのを、彼は知らない。

 日が傾き、空が暗くなった頃合い。本丸に居た一同には、今剣や岩融のことは伏せて置いた。石切丸も、彼のことは言わなかったようである。皆も特に話題にしなかったのは、今剣や、他の者達に気を使ったからであろう。誰かが騒ぐことはなく、各々がいつも通りの時間を過ごしていた。
 強いて言うならば、時折心配した表情で離れを見る者がいるっといった所か。

 近寄らないようにと言っても、誰かが隠れて離れに近づく可能性がある。今回の事で、岩融の異変に気づかれては困ると、その監視を含めて石切丸と鶴丸は離れがよく見える一室に向かった。あれから岩融は無理をしていたこともあってか、再び眠りについたと石切丸は説明する。いくら寝ていても、彼が話を聞いていないとは限らない。一つの予防策だ。
 鶴丸は今剣の様子を、石切丸は岩融の様子をそれぞれ話した。一通りの説明を聞いた石切丸は、鶴丸と同じ「岩融が関わっている」考えに同意した。石切丸は、口元に手を添えて、険しい表情を見せている。多くの情報を整理し、分析しているのだろう。彼もまたこういった事を得手としている。鶴丸は、離れの様子を見ながら、石切丸の言葉を待った。

「……思ったよりも、酷な状態なのかも知れない」
「……それは今剣と岩融、どっちの話だ?」
「どっちも、だよ。そうだな……今剣の方は、原因は分かっているからまだ良いけれど……問題は岩融の方だね」
「岩融だけに見えて聞こえていた「何か」ってやつか」
「そう。あとはいくつかの疑問かな……」

 疑問?問題だけではないのか。鶴丸の言葉に、石切丸は首を振った。

「『何か』が分かれば問題は解決するとは思うけれど、それと岩融が今剣の様子を察知出来た事とは繋がらない気がしてね……それに、夢も気になる」

 夢を見ると、彼は言っていた。長い、永い夢を。感覚が残る夢を。付喪神である自分達が、夢を見ない確証はどこにもない。しかし、二日間の間、何かを斬り伏せるような夢を、果たして見る事があるのだろうか。『何か』によって齎されたのならば、岩融も素直に流されているとは思えないが。
 それだけ強い力なのか。逆に、もう行動を起こしているのか。どちらにしろ、彼はそんな状況で今剣の状態を察知していた。
 声が聞こえる、心が揺らいでる、彼の心はそう言っていたらしい。
 考えれば考えるほど疑問は、答えを出さずに深みを増していく。

「どうする?主に頼んであいつ等が行った時代に行ってみるか?」
「……いや。赴いても、探し物は見つからないはずだ」
「へぇ?」

 その言い方だと、何か思い当たるところがあるような感じだ。石切丸の言葉に、笑みを含めさせて聞き返す。確信はないよ。鶴丸の意図に気づいている石切丸は苦い笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「『何か』についても、彼の夢についても、『岩融』の事を調べないと糸口が見つからないと思っただけさ。その『何か』は彼にしか見えなかったのなら…私達も見る事は出来ないだろうしね」

 見れないものを探した所で、結論は一緒だ。私達が調べると今剣に言ったのなら、今は岩融に集中する事にしよう。
 それが石切丸の答えだった。幸いにも、今剣は岩融のように外的な要因は無い。
 彼の場合は「自分」で向き合わければいけない。
 それは、誰しもが持っている、悩みが問題となって現れたのだから。今剣の気持ちは鶴丸にも石切丸にも全てではないが理解できるものだ。だからこそ、鶴丸は、彼に言った。よく考えろと。言われてどうにかなる「もの」ではない。考えて考えて、それで見つからなければ、それだけの話だ。

 しかし、岩融は何かしらの要因がある。それをどうにかしなければ、彼の問題は解消されない。情報の出所はどこからなのか、その疑問に石切丸はもう一度、苦笑を浮かべた。

「情報は私から主に頼むよ。彼等の時代に、私達の時代が記された書物が残っているか、分からないけれど」

 場合によっては、現代の書物に頼らざるを得ないなと言葉を零した。彼の言葉に、先ほどの表情の意味を理解する。今本丸にいる連中の中で鶴丸や石切丸、岩融達は古い方の立場だ。そんな自分達と他の刀剣男士の時代でも、そこから主の生きる「現代」まででも、言語は様々な変化を遂げている。確か、現代の書物は、多くの文化や思想などを取り入れた為、多くの言語を多用すると聞いている。当時の書物しか見た事がないから自分達からすれば、多くの言葉を使い分け多用する現代書物を読める者は、鶴丸や他の者達を入れても、無しに等しい。もしかしたら、まだ見ぬ刀の者によっては知っているかもしれないが。そう考えれば、成る程。確かにこれは大変だ。読み解くにも時間が掛かりそうな作業に、手伝うぞと提案する鶴丸は申し出る。しかし、石切丸は首を振った。

「私の方は平気さ。代わりに、岩融の方を見ていてくれないかな」

 今剣のように、こっそり見にくる子達が多いからね。
 石切丸の言葉に、鶴丸は目を丸くさせるが、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。その見に来た相手に様子を見せたのはどこの誰だったか。意地の悪い答えに酷い言い草だなと、石切丸は笑いながら言葉を返した。あの行動が間違っていないと思ってるからこその返答と表情だ。自分が逆の立場でも一目ぐらい見せるだろう。鶴丸もその行為を悪しとは言わなかった。情報収集は、思考する事を苦と思っていない石切丸に任せるとしよう。任せた。任された。簡単な言葉が交わされる。
 互いの意思を確認した所でパタパタと小さな足音がいくつか、聞こえた。ふい、と顔を上げてその音を探る。足音から鳴る、廊下の床の音は軽い。という事は脇差か短刀あたりの者達だろうか。その足音は迷う事もなく、石切丸と鶴丸のいるこの部屋へと一直線に向かっている。
  今剣だろうか。否、今日の事を考えて、その可能性は薄い。では、一体誰だろうか。二人は息を潜め、来訪者を待った。
 空に月が出てきたのか、襖で隔たれた部屋に向かって明りが降り立つ。そんな月明かりに照らされた影は、二つ。身なりは小さい。やはり短刀か。影から浮かぶ形を見てみると、今剣の姿は見えなかった。二つの影は、襖の取っ手口の前で動きを止めて、小さな声で二人を呼んだ。

「夜分遅くにすみません。前田藤四郎です」
「愛染国俊です!」

 二つの影の正体に、二人は顔を見合わせた。珍しい組み合わせだ。そして珍しい訪問者だ。
 元々、予期していなかった来訪者だ。用件は、分からない。襖に近い鶴丸が入室を促す。礼儀正しい前田藤四郎が失礼しますと前置きを入れて襖の戸に手をかけて、静かに引いた。二人とも、出陣する際の服とは違う、動きやすい軽装の服だ。二人の姿を確認した石切丸が、どうしたんだい、と声を荒げることもなく、驚いた事を少し隠しながら穏やかな口調で尋ねる。前田藤四郎と愛染国俊は一度顔を見合わせた後、二人へと目を向けて、口を開いた。

「実は、折り入って頼みがありまして……」
「頼み?私達に?」
「どちらかといえば、石切丸さんの方なんですが……」

 愛染国俊が、痺れを切らしたのか、ずいと、頭を差し出して来訪の目的である。頼みごとを口にした。

「せんばづるってどうやって作るんだ?」

 聞きなれぬ言葉に、鶴丸が首をかしげる。

「せんばづる?……なんだそれ。石切丸、知ってるか?」
「せんばづる……あぁ、千羽鶴、だね。千羽の鶴と書いて読む」
「はい。なんでもその人の事を想いながら紙を折って作るものらしくて。こうして、何もしないのもどうかと悩んでたら、主君が。それならば、それを作って送って見るのはどうかと言われまして……」
「でも、主人もオレ達も。みぃんな、どうやって作るのか分からなくてさ。石切丸は神社暮らしが長いから、もしかしたら、そういうの知ってるんじゃないかと思って」

 どうですか、と四つの目が、石切丸を見つめる。それに沿うように、鶴丸の目も石切丸へと向けられた。一度思案を巡らせたかのように視線を逸らした後、なるほど、と頷きながら納得の声をあげた。視線を彼等に戻して、大きく頷いた。

「あれは怪我や病に伏せている人が早く治るようにと送るまじないの一つだからね。作り方は分かるけれど、大丈夫なのかい?千羽を作るのは、大変な作業だよ?」

 初めての作業だ。失敗も多くあるだろう。それを踏まえての材料も、忍耐と集中力も必要だ。二人で千を作るのは、かなりの時間を要する。石切丸の疑問は最もだ。
 それは大丈夫と思う。答えたのは、愛染国俊だ。

「皆に声をかけたら多分、一緒に作ってくれると思うんだ。紙は主に頼んでいっぱい用意してもらったし」
「石切丸さんも、鶴丸国永さんも岩融さんを看てあげるのに大変だと思うので。作り方を教えてもらえたら、後は私達で作ります!」

 そう言って、前田藤四郎は懐から二枚の四方が綺麗に揃った白い紙を取り出した。随分と、用意周到だ。これだけ教えてもらうつもりで来たのに、追い返す理由もない。流石は短刀。その身軽さと行動力をぜひともご教授願いたい。どこか楽しさを含んだ声を潜ませて石切丸は二人にそう言った。決して困った風でも邪険を含ませている訳でもないその声に、二人はよろしくお願いします、と腰から折って頭を下げた。頭を下げるほどのものではないのだが。本当に、彼等は礼儀が正しい。石切丸は笑いながら、こっちへ来なさい、と促した。
 同じ「鶴」に通ずるものを感じたのか、自分の知らぬ事に対する探究心か、俺も見て良いかと鶴丸も心なし声を弾ませて尋ねてくる。ならば、明日皆で鶴を折る時には一緒に折ってやってはどうだろうか。二人では心配……という訳ではないが、知っているものが一人でも多ければ効率も良い。皆が一室に集まるならば、岩融の部屋に入る必要もないし、彼も目が覚めたからと言ってしばらくは動けない。書簡の一つ、枕元に置いておけば大丈夫だろう。石切丸の言葉に、前田藤四郎も、愛染国俊も伺うように鶴丸の顔を見た。鶴丸にそう言った、という事は。石切丸の考えでは岩融はまたしばらく、目を覚まさないという考えに至ったのだろう。良いのか。彼にも長い休みを与えないとと、主に言われているからね。

「私達もたまには席を外して休まないと、気力だけで持つのは厳しいよ」

 看病する側も気を張り詰めて疲労が溜まる。恐らくはそういうつもりで言ったのだろう。きっとそうだ。まだそうと決まった訳ではない。しかし、何故だろうか。
 石切丸の言葉はどこか「何かが起こる時に気力だけでは対処できない」と暗に言っているような。そんな予感にも似た蟠りが心の中に落ちた。


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 おそらくは夢であろう世界の中で、聞こえてくる。
 どうありたい。男の声が問いかけてくる。
 お前はどういう存在でありたいのだ。静かで、低みのある深い声だ。
 答えようと口を開いたが、声が出てこなかった。何故。なぜ。何度も口を開いて声を、言葉を紡ごうとするが音もでなければ、息も出ているようには感じない。
 これは、夢か。この時になって、気づく。男は豪快に笑った。地を震わさんばかりの大きな声に、思わず足がすくむ。
 
 口にする事ができないのは、己自身がそうである事を認めていないからだ。
 全くの瓜二つではないのだな、と言われた。どこか感心したような楽しさを持っているような声。
 男はまるで自分を知っているような口振りだ。だが、覚えがない。姿を見れば、もう少し何か分かるかも知れないのに、見えないというのは大変もどかしい。
 男もそれは気づいているようだ。そっちには姿は見えんだろうよと言われた。

 お前は守り刀だと聞いたが、何の守り刀なんだ?
 何から何を守るのだ?
 そもそも守るとはどういうことだ?
 守るためにお前はどうするというのだ?

 降りかかってくる問いかけに、言葉に、答えようと口を開く。何故か分からないが、そうすべきだと思ったのだ。
 しかし、声は出ず。ただ口が開閉されるだけ。
 答えなければ。答えないといけないのだ。忘れぬ為にも。
 男が静かに笑った。

 お前の答えを聞ける日まで待とうではないか。天狗よ。
 白と黒の世界が瞬くように変わり変わり、突き飛ばされたような感覚と浮遊感に襲われた。
 落ちる気配は、無い。