願いに刃を隠して



 大きな太刀が、横に薙ぎ払われる。流石、岩をも断つと謳っているだけの事はある。その力は多くの存在を斬り裂いた。
 石切丸だけには何があっても逆らわない事にしよう。その様子を見た鶴丸は、そう心に決めた。
 刀を一度振り。石切丸は、小さく息を吐き出す。これでは、埒が明かない。

(ここは一度、思いっ切り振り下ろすか…?)

 敵の中とはいえ、手加減なしで大太刀を振り下ろせば、少しぐらいの反応はあるかも知れない。

 ァァァァァァアアアアアアアアァァァアアアアアア!!!!!
 悲鳴が響き渡る。その声に、鶴丸は身を震わせた。

「うっわ!うるせぇ!?」
「……あぁ。君は今まで聞こえていなかったから」
「部屋にいた時もこんな声響いていたのかよ!」

 刀を持ちながら、片手だけ耳を塞ぎながら、鶴丸が叫ぶ。飲み込まれる前も何度も悲鳴をあげていた。男も女も関係なく、多くの者達の悲鳴の大合唱だったが、今回はそれにしてはやけに少なく、声が大きい。

(何かが、違う……?)

 亀裂が入る音が耳元で鳴る。
 視線を向けると、白い筋が辺りに見えた。筋は少しずつ増えていき、右へ、左へ、前へ、後ろへ、上へ、下へと広がっていき繋がっていく。
 それに比例するように、悲鳴が少しずつ歪んでいく。いや、ぼやけているのだろうか。不鮮明になり、聞こえなくなっていく。

 これにて、終演。

 男の声が、響いた瞬間。黒い世界が一気に崩れ去った。
 降り注がれる白い光に、視界が眩む。
 石切丸も、鶴丸も、目を守るように腕で視界を覆った。
 強い光が降り注いでいるのか、覆ってもなお白い視界に、完全に動きが止まる。
 やがて、その光はゆっくりと弱まり出し、落ち着きだす。
 落ち着いたのを確認した後で、二人は覆っていた視界を解いた。




 そこは一室の和室だった。窓が全て塞がれて、光を拒絶した暗い一室。
 離れ座敷の、部屋だ。
 どういうことだ。鶴丸は辺りを見渡す。先ほどまであった殺気は、どこにもない。

 何が起こった。敵は。今剣は。
 目を細め、辺りを探す。
 一室の奥で、二つの人影が見えた。

「今剣!岩融!」

 刀を鞘に収めて、二人の元へ駆け寄る。
 今剣も、岩融も気を失って倒れていた。口元に手を添える。呼吸はある。刀も、折れていない。それを確認し、鶴丸はほっと安堵の息を深く吐き出した。そんな彼等の元に、石切丸が歩み寄る。

「これは、無事終了……ってことで良いのか?」

 鶴丸はやや困惑した表情を浮かべながら石切丸に尋ねる。自分はこういった分野は専門外だ。今、この瞬間も。何が起こったのか、全く理解できない。石切丸は二人の姿と部屋の様子をざっと見た後。鶴丸へ視線を向けた。

「もう心配無いよ。悪い気配もないし、二人とも、無事に残ったし」

 大丈夫。
 温厚な笑みを浮かべて、そう告げる石切丸に、鶴丸は大きな息を吐き出した。あらゆる意味の安堵が込められているのだろう。その場に座り込み、冷や冷やしたと独り言を呟いた。
 襖の先から見える空を見て、目を丸くする。
 あれから、どれだけの時間が経った?
 それなりの長い時間が過ぎていたかのように思ったのだが、月はまだ、高い。まだ、そんなに時間が経ってい無いかのような。
 彼の意図に気づいたのか、石切丸も苦笑いを浮かべていた。

「起きた事は全部事実だよ。あれの影響か。時間が思ったよりも進んでないようだけどね」

 腕に残った痕を見せて、そう告げる。
 彼の腕には、青黒い手の痕がくっきりと残っている。岩融に握られ、出来た痕。
 それは、夢でなかった、現実である事を示している。

 格好良い所、奪われて残念だったね。袖を直しながら、石切丸が鶴丸国永にそう問いかける。
 格好良い所を奪われて。
 その言葉の意味を、しっかり吟味し、理解した後鶴丸は笑って、項垂れた手を振った。

「俺は、光忠とは違うんだ。それぐらいで臍を曲げる程、子供じゃ無い」

 鶴丸の言葉に、石切丸が笑う。

「ははっ。そうかい……ともあれ、無事で良かったよ」

 誰かがいなくなる所を見るのは、何年経っても心虚しくなるものだからね。
 視界端に見える物を見ながら、呟かれる。
 千羽の想い込められた鶴は全て黒い色に染められていた。






 温かい。
 日に照らされたような温もりが、体を包み込む。心地いい。心も、身も、癒してくれるような温もり。今剣は、ゆっくりと目を開いた。
 光が眩しい。視界がぼやけ、頭があまり動かない。
 気持ち良さと、不明瞭な感覚に、思わず呻き声を上げる。そんな彼の声に、何かが動く気配を感じた。
 何だろうか。緋い目が何かへと向ける。

「おお、目が覚めたか」
「いわ……とおし……?」

 聞きなれた声が聞こえてくる。落ち着いていて、優しくて、穏やかな声。声の主を無意識に呼べば、そうだ、と返事が返ってくる。しばし、動かなかった頭が少しずつ、回り出す。

 いわとおし。
 岩融。

「っ!岩融!!」

 勢いよく身が起き上がる。突然の大声に驚いたのか、岩融は僅かに身を引いていた。どうしたと、少しだけ困惑気味に今剣に問いかける岩融。
 軽装に身を包み、自分の傍に居た彼は、紛れもなく彼で。見間違えるはずもなくて。
 岩融。
 もう一度、名を呼ぶ。

「岩融。……岩融」
「……今剣?…具合でも、悪いのか?」

 彼の声に、言葉に、心から何かが溢れる。胸を締め付け、喉を登り、視界が歪む、口から溢れそうになる。

 ああ、彼だ。
 岩融だ。
 生きている。
 生きてくれた。
 口から出てくる言葉を一度、喉の奥へ押し込み、今剣は鋭い眼差しで岩融を睨んだ。

「それはこっちのせりふですよ!岩融!!」
「お、おう……?」
「たおれてからなんにちたっているとおもっているんですか!みんな、しんぱいしたんですよ!」
「い、今剣。落ち着け……」
「おちついていられますか!ぼくだって……ぼくだってしんぱいしたんですよ!」

 しんじゃうかもしれないって。おもった。
 そんなことないっておもっても、あたまのなかでなんどもおもっていても、こころのどこかでそんなふあんがあった。
 こわくて、こわくて。それでも、だいじょうぶだと。なんどもいいきかせて。

 一度、口にしたら、言葉がどんどん溢れてくる。考えるよりも先に口が動き呼吸するのも忘れるほど言葉が続く。
 最初は困惑していた岩融も、少しずつ落ち着いてきたのか。今剣の言葉をただただ聞く。静かに、今剣の放つ言葉全てを、聞き逃さないように。
 視界が歪む、何かが頬を伝い、流れてくる。
 それでも言葉を止めることはなかった。
 自分の目を拭い、岩融の目を見る。
 彼は、じっと、自分から目を逸らしていない。今剣を見ている。
 一度だけ、呼吸をする。

「あのときの岩融。どこかへきえてしまいそうでした」

 雨が降るあの戦場で、彼の表情は、彼の心はその場所にいなかった。
 その顔を見た時、呼ばなければならないと思った。
 今、ここで名を呼ばなければ、彼は消えてしまう。
 自分の中の自分自身が、そう告げた。その心に従って、今剣は、岩融の名前を呼んだ。気づいていたら、呼んでいた。

「それが、あの時俺を呼んでいた理由か?」

 静かな声で、岩融が問いかける。涙を拭い、そうです、と今剣は頷く。
 今剣の頭の上に、暖かいものが触れる。顔を上げれば彼の右手が、頭上に乗っていた。岩融は穏やかな笑みを浮かべて、今剣の頭を撫でる。

「どうやら俺は。お前に何度も救われていたようだな」
「?……なんどもすくっていたのは岩融のほうですよ」

 何度も助けられた。何度も守られた。何度も、救われていた。
 お礼を言うならば、むしろこちらの方だ。
 岩融が笑う。

「ハハッ……ならばこれは、お互い様ということだな」
「……そうです。こまったときは、おたがいさまです」

 岩融も共に今剣の涙を拭う。大粒の涙を拭い取り、赤い目と日の色の目が交わり、そして、互いが笑い合った。

 あ、と思い出すように今剣が声を上げる。
 どうしたと尋ねた岩融に、言い忘れていたことがあったと答える。
 言い忘れていたこと。今剣の言葉に、岩融は首を傾げた。
 とても大事なこと。言わなければいけない、大事なこと。
 もう涙は流れない。
 今剣は、岩融の目を見つめ、ただ一言。声をかけた。

「おかえりなさい」

 一言。告げられた言葉に、岩融の目が丸く見開かれる。
 やがてそれは、細められ、優しい声でその言葉に答えた。

「ああ……ただいま」


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 どうだった、あの子は。
 見所がある子だったぞ。あれはその内、勇ましい者になる。
 君の半身でもあり、私の半身でもあるからね。
 俺の半身はどうだった?
 聡明だよ。心想いで、人間として会えなかったのが残念だったね。
 流石はお前の半身、と言った所だな。

 それぞれが別の所で良かったよ。一緒にいなかったらこそ、多くの言葉が伝えられるから。
 確かに。だが、俺は半身といつか話したいものだ。
 そうだね。時がうまく回り、いつかの時代できっと会えるはずさ。
 
 その時まで、私達は彼等のこれからを祈り続けよう。

 水面に二つの影が映りこむ。二つの影は夫婦の大木を眺めながら笑い合う。
 池の鯉が水面から跳ね上がる。
 水面が揺れる。やがてその水面が穏やかに変わっていく。
 やがてその水面が穏やかになった時、二つの影は姿を消していた。



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「おや、岩融」
「おお、石切丸。休憩か?」

 太陽が真上から過ぎ去った頃、襖を開けた石切丸の視界に、部屋の真ん中で座している岩融の姿が入ってきた。軽装を身に纏い、ゆるりと落ち着いた様子で岩融は石切丸に問いかける。そんな所かなと石切丸は軽い笑みを浮かべて彼の元へと歩みを進める。

「そこに座れ、茶を淹れよう」
「え?そこまでしなくても良いよ」
「時間を持て余してな。休憩ついでに話に付き合え」

 あの一件から数日。怪我もなく、精神面でも安定した姿を見せている岩融だが、数日前は心臓の位置を貫かれ、数日意識不明の状態だった。その上、己の中にある負の想いを断ち切る為、一人戦っていたのだ。多くの者が彼の体調を気遣い、主からも様子見という形で数日の休暇が与えられてしまったのである。
 尤も、例の一件に関しては当事者である刀剣男士以外、知っている者はいない。岩融も石切丸も例の一件については主には説明をしていない。
 説明しようにも、どう説明すれば良いのか難しく、現実味のないそれに、説明のしようがなかったのである。
 一件の後、岩融の腕に刀を振り当てた傷や、今剣にあった小さな切り傷達は、石切丸と鶴丸に運ばれ、誰にも気づかれることなく手入れ部屋で手入れすることが出来た。岩融が眼を覚ました時には傷一つない、無傷の状態であった。
 そうして見た目は健康そのものな状態で皆の前に立ち、何度も平気だと言っているのだが。それでも、全員が首を縦に頷いてくれなかったのである。
 今剣は先に戦線に復帰し、今日は出陣に出ている。

 厨房から茶を用意してくれた岩融は盆を手に、部屋に戻ってくる。差し出された湯呑みの中には深緑の色に染まったお茶が湯気を立てていた。ふと見ると、盆の上には小さな和菓子が置かれた皿まである。
 それは?そう尋ねる石切丸に、岩融は以前に主が万屋に出向いた際に買われた土産物だと説明した。鯰尾藤四郎が皆の分にと買い込んだ物のいくつかを拝借したらしい。茶を飲みながら話すにも、茶菓子がないと味気ないだろうと岩融が笑う。その笑みに、陰りは見当たらない。調子は快調のようだ。石切丸の視線に気づいた岩融は、肩をすくめた。

「心配してくれるのはありがたいが、内番も出来ないとなると何もする事がない」
「あんな事があったんだ。仕方ないよ。『夢』の方も、問題ない感じかな?」
「些細ない。あの時は助かった」
 
 石切丸の言葉に肯定しながら、岩融は再度、感謝の言葉を口にした。目が覚めた後、本丸にいた者達には謝罪と感謝の口を述べたが、特に石切丸と鶴丸国永、今剣にはその数は多い。下手をすれば危うい立場にいたのだ。自分が動けぬ間は今剣の様子も見てくれていたのだから、その思いは尽きぬばかりである。石切丸はそんな彼に、私が何かあった時にはお願いすることがあるかもしれないからと笑って答えた。
 ちなみに、鶴丸国永は当時、謝罪と感謝の言葉に対し、肩車をしてくれたらそれでなしにしようと言った。本人がそれで良いのならと多少渋りながら岩融は了承した。後日、するらしい。

「無事に供養もしてくれた。彼奴等もきっと成仏されるだろう」

 黒く染まった千羽鶴は、早朝に、火に焚べらせた。ずっと形に残すとその者達にその気がなくても残り香として残ってしまうのだ。他の刀剣男士達への説明は石切丸が上手い事言ってそういう習わしということで落ち着いた。
 一羽一羽が燃えていく様を、岩融と今剣は黙って最後まで見続けた。自分の大切な人を傷つけ、自分を傷つけた相手ではあったが、今剣はその様を見て、少しだけ泣いていた。

 九百九十九の魂は、岩融が刀剣男士として顕現したのと同時に、同じように形を成したものだろう。個個の思いはそれほど大きくもなく、当初は影響が無かったが、度重なる戦いによって、歴史修正主義者の思いが刀を通して、彼の中にある魂が呼応し、汲み取り、大きくなってきた。それが今回、より顕著になって現れたのではないか。それが石切丸と岩融との話で落ち着いた見解である。
 今回、岩融が自らそれを断ち切り、千羽鶴に意志を、思いを移して新たな道を作り出すことが出来た。

 恐らく、今後同じような事が彼の身に起きることはないだろう。

 湯呑みに口をつける。深く落ち着いた香りに、どこかとろみのある舌触りを感じて石切丸は眼を丸くする。口にしたそれは苦味が薄く、深みのある味は、普段あまり飲む機会がない茶葉であると気づいた。
 お前はそっちの方が好きだろう。岩融はなんでもない風な様子で和菓子を小さく切っては口に入れていた。岩融の見立ては間違っていない。煎茶の渋さがありつつもすっきりとした味わいや、深蒸しのように時間をかけて生まれた甘みのある味も嫌いではないが、好むのは確かにそれである。誰一人として、その事について口にした事はないのだが。
 本当に、よく気付く。ここ最近、石切丸が岩融に感じる事はそれだった。
 気付くといえばだ。
 以前より感じていた疑問がまだ解決していないことを思い出す。
 せっかくの機会だ。ここで聞いてみる事にしよう。
 石切丸はそう思い、以前に感じていた疑問を岩融にぶつけることにしてみた。

「岩融。一つ聞いても良いかな」
「うん?どうした」
「以前に君が最初に眼を覚ました時、今剣が泣いていると言っていたね。どうしてそう思ったんだい?」

 一瞬、何を言われているのか分からなかったのだろう。一つ、瞬いて。その表情が怪訝な顔になる。
 だが、それも思い返すように視線を変えて口を閉ざした後、ああ、と静かに声を上げた。
 けれど、それだけだ。自分と同じように湯呑みに一度口をつけた後。静かな表情で、口を閉ざしたまま、湯呑みを机上に置く。その様子を、石切丸は黙って見ていた。
 表情に険しさや、嫌悪を示すような色は見えない。忙しなく視線を動かしている様子もなく。言葉の意味を咀嚼するかのような、吟味しているかのような。なんと言うべきか、考えているような仕草にも、見えた。
 どう説明すべきか、悩んでいるということだろうか。
 そう考えた石切丸は、逆にこちらから言葉を投げ掛けることで、返答しやすい道を作ることにした。

「私の見解としては、二人が……というより、元持ち主である源義経と武蔵坊弁慶が、が正しいか。二人が主従の契りを交わしたことで、刀である君達がその性質を受け継いで、互いに影響される立場にあったと考えたけど」

 どうかな。
 視線を変えて、岩融は、石切丸を見た。石切丸の見解に対して、岩融はなるほど、と返答が返される。肯定も、否定もない。
 それもあるだろうなと、最終的に返ってきた答えは、どこか含みのある表現だった。予想とは違った答えに、おや、と石切丸は心の中で驚く。

「それもあるってことは。他にも?」
「そうだな……、俺も実際の所は分からんが……」 

 どう説明するか。そう言って、岩融は茶請けを持ってくる際に使った盆を手にして、眺めている。その様子に、石切丸は軽く、首を傾げた。説明と盆にどんな関係があるのだろうか。
 岩融はしばし盆を眺めた後、一つ頷いて。石切丸に見えるように、盆を掲げてみせた。

「この盆を、仮に俺としよう」

 くるくると裏表に回しながら、岩融は石切丸の表情を確認する。彼が、まっすぐにその盆を見て、認識しているのを確認すると、まずは物を乗せる表の面を石切丸に見せた。彼が持ってきた盆は木で出来たものであり、そこに特別な装飾や色は施されてはいない。けれども大切に使っているそれは、石切丸の目から見ても、恐らく、岩融の目から見ても、傷一つないものだろう。

「この面を俺とする」

 そう言って、彼はすぐにその反対。普段は見えぬ面。言わば裏の面を彼に見せた。

「この面が、今剣だ」

 どう返答すべきか。
 悩む前に、言葉が浮かばなかった。石切丸は驚いた顔で、岩融を見ている。彼は、落ち着いた表情で石切丸を見て、盆を机上に置いた。彼の言葉を素直に解釈するならば、自分の中に、「岩融」と「今剣」がいるということである。自分の見解と似ているようだが、その意味は全く違う。
 もう少し、見解を話そう。岩融が言葉を続ける。
 まず基本として、自分に元主の性質が受け継がれることがある。岩融の場合ではあれば武蔵坊弁慶。燭台切光忠の場合であれば伊達政宗といった具合に、大であれ小であれ、何かしらの継承がある。それが一つ。
 岩融の記録は少なかっただろう?岩融の問いかけは、確認というよりは確信に近かった。知っているかのような口ぶりに、思わず確認する。見たのかいと石切丸の言葉に、岩融は頷く。

「弁慶が後世どのように語られているのか興味があってな。それで一度、拝読したことがある」

 後にも先にも、基本的に記されるのは人の偉業、神の伝えがほとんどだ。これが神の創造物であったり、古き遺産でもあればまた変わったであろうが、何かを殺める事が基本である自分達について詳細に記す習慣は元々薄い。それ故に、岩融も自分の記録が少ないからと言って、特別驚くほどでもなく、そうだろうなと簡単に受け入れた。

「俺については記されているのは主に刀狩と、弁慶最後についてだが……。それにしてはあまりにも密に書かれていない」

 まぁ、九百九十九の刀を狩った時の事を詳細になんぞ書かれても反応に困るがな。岩融は笑いながらそう言い放つ。あっけらかんとした様子が逆に違和感を感じさせるように見えた。
 言葉が続けられる。
 己が形を作るにはあまりにも、記録が少ない。審神者の力がそれら全てを補わせる事が可能か。答えは否。審神者とはあくまでも眠っている存在を起こす者、その手助けをする者。眠っている存在そのものが形作るに足りうる情報や思いが無ければそれが叶う事はない。
 それを補う存在が、「今剣」である。
 これは、同時に今剣でも同じ事が言える。岩融は静かな口調でそう告げた。

「俺の記される全てには弁慶だけではなく、義経公も……今剣も記される。今剣も全てではないにしろ、歴史の幾多の出来事の中で、俺や弁慶の存在が各所としてあるだろう。そうして伝承は互いに補完し、存在を主張させ、こうして形になった」
「つまり……、君には弁慶だけじゃなく。義経や今剣の性質が受け継がれていると…?」
「確かめた事はないがな。直接、弁慶や義経公と対面して聞く訳にもいかぬだろうし、鍛刀の流れを見るからに、主も知っているかどうか判断が難しい。下手に言って動揺させぬ訳にもいかぬからな」
 
 だが、そう考えると説明がつく事があるからな。岩融は湯呑みに口をつけて静かに、お茶を飲む。
 自分の事なのに、あまりにも落ち着いている。
 岩融の見解がどこまで正しいのか、全くの見当違いか、その判断は出来ないが。もしこれを”是”と唱えるとすれば、かなり複雑な事になっているなと、石切丸はほんの少しだけ早計な自分を恥じた。
 そんな顔をするな。岩融はからりと笑う。

「仮にどちらか折れた場合、連なって折れるわけでもなし。思考も何もかもが読めるわけでもなし。そう大袈裟に事を構える必要はない」
「そう、かな……結構大きな問題だと思うけれど……」
「他の者に聞かれれば大問題だろうな」

 だからこそ、ここで話しておるのだ。
 岩融の言葉に、石切丸は眼を丸くする。
 確かに、ここは大広間や玄関などから離れた場所ではあるが……。
 この場所の位置を脳内に浮かべて、岩融の言葉を咀嚼して。石切丸は小さくため息をつける。それらを見越して、この場所で休んでいたと言うのか、この刀剣男士は。

「岩融、君も意地が悪いな……」
「そう言うな。俺も、こんな話をするまでは予知してない。あの一件については、ほとんど大っぴらに話せないだけだ」

 念には念を入れて、ここに居ただけだが。結果としてそれは間違ってなかったようだな。
 随分と落ち着いているね。出生は重要ではないからな。石切丸の問いに、岩融は、当たり前のように言う。どこか他人事ようにも聞こえてしまうのは、気のせいだろうか。肝が据わっていると言えば聞こえはいいが。僧の影響を受けているにしても悟りすぎである。
 己の出自に他の刀剣男士が関与され、補完し合う。それによって形を成した今、何かしらの影響が表れる場合がある。なかなかに繊細なものだ。これを好意的に捉えるかどうかは、判断が難しい。
 頭痛の種にもなりそうな話に、石切丸は気持ちを切り替えるように、菓子を食しつつ、茶を飲んだ。鯰尾藤四郎が土産に買ったという菓子は華やかな色合いや繊細な装飾が特徴の練り切りであった。甘みのある菓子と香りある茶の組み合わせは上品でありつつ心に穏やかさを与えてくれる。
 所作が静かで落ち着いている岩融の姿にも思考にも似通うそれに、なるほどと納得させるものがあった。

 しかし、岩融の中に、今剣がいる。今剣の中に岩融がいる。岩融がそこまで思考を巡らせ、辿り着いたのであれば、今剣はどうなのだろうか。

「……今剣はこの事について、知っているのかい?」
「話した事はない。が、本能的な所では、理解しているかもな」

 石切丸。一つ教えてやろう。声を落として岩融が囁く。これから話す事は他言しない方がいい。続けて囁く。
 とは言っても、ここでの会話全てが、他言出来るものではないが。恐らく正面から言えるとしても、今回の一件に関わった鶴丸国永ぐらいなものだ。今剣は自分から言うとは、また立場が違うのでなんとも言い難いが。

「俺と今剣は互いに元主が主従である事は記憶しているが、彼等が死ぬ迄の出来事を一度も共有した事はない」

 一度もな。そう言って、岩融は静かに笑った。
 それはお互いに無意識にしろ、意識的にしろ、明確に示された境界線。
 そうして笑う岩融の表情一つもまた、境界線の一つだと石切丸は思った。



終